息子と家族旅行-八千代座・建物
息子の勤務地である、熊本県北部の山鹿市に行きました。
息子の希望で(同じ山鹿に居ながら一度も行っていないとの事でした)、八千代座に行きました。
八千代座を見学して、帰りに息子の勤務先をみて、久留米に向かいました。
息子の希望で(同じ山鹿に居ながら一度も行っていないとの事でした)、八千代座に行きました。
八千代座を見学して、帰りに息子の勤務先をみて、久留米に向かいました。
明治43年当時商工業で栄えた山鹿の旦那衆が八千代座組合を創設、一株参拾円の株を購入し建てた芝居小屋である。
こけら落としは同44年1月で、歌舞伎の松嶋屋総勢91人による興業であった。
そらからの記録を紐解くと、松井須磨子、岡田嘉子、長谷川一夫、片岡千恵蔵らの名前を見ることが出来る。
八千代座は大正から昭和初期にかけて、
当代一流といわれる芸能人の熱演を多くの人々の心に深く刻み込んできたのである。
そらからの記録を紐解くと、松井須磨子、岡田嘉子、長谷川一夫、片岡千恵蔵らの名前を見ることが出来る。
八千代座は大正から昭和初期にかけて、
当代一流といわれる芸能人の熱演を多くの人々の心に深く刻み込んできたのである。
国指定の重要文化財である八千代座であるが、昭和40年代に老朽化し朽ち果てる寸前であった。
山鹿の老人会が「瓦一枚運動」で募金を行い、5万枚の屋根瓦を修復。現在では若者も活動を始め、
平成2年から「坂東玉三郎舞踊公演」が定期的に開催されている。「
い・ろ・は」から始まる桟敷席、廻り舞台やスッポンなどすべてが健在である。
ちなみに、奈落の底で廻り舞台(人力式)を支え続けるレールには、
1910年のドイツ・クルップ社の刻印が刻まれているのである。
山鹿の老人会が「瓦一枚運動」で募金を行い、5万枚の屋根瓦を修復。現在では若者も活動を始め、
平成2年から「坂東玉三郎舞踊公演」が定期的に開催されている。「
い・ろ・は」から始まる桟敷席、廻り舞台やスッポンなどすべてが健在である。
ちなみに、奈落の底で廻り舞台(人力式)を支え続けるレールには、
1910年のドイツ・クルップ社の刻印が刻まれているのである。