ラフマニノフ ピアノ協奏曲 第1番から 第3楽章 自作自演
日本を代表する円熟のピアニストが、選りすぐりの名ピアニストたちの名演を痛快トークで紹介。
清水和音(しみず かずね) ピアニスト
昨年デビュー30周年を迎えた日本を代表するピアニスト。ジュネーブ音楽院に留学中、弱冠20歳でパリのロン=ティボー国際コンクール優勝。ベートーベンやショパンの全曲演奏にとりくみ、その成果は国内外で絶賛されている。
昨年デビュー30周年を迎えた日本を代表するピアニスト。ジュネーブ音楽院に留学中、弱冠20歳でパリのロン=ティボー国際コンクール優勝。ベートーベンやショパンの全曲演奏にとりくみ、その成果は国内外で絶賛されている。
ピアノ演奏史上超一流の演奏家であり、作曲とピアノ演奏の両面で大きな成功を収めた音楽家としてフランツ・リストと並び称される存在である。
彼は身長2メートルに達する体躯と巨大な手の持ち主で、12度の音程を左手で押さえることができたと言われている(小指でドの音を押しながら、親指で1オクターブ半上のソの音を鳴らすことができた)。
また指の関節も異常なほど柔軟であり、右手の人指し指、中指、薬指でドミソを押さえ、小指で1オクターブ上のドを押さえ、さらに余った親指をその下に潜らせてミの音を鳴らせたという。
恵まれたこの手は、マルファン症候群によるものとする説もある。
彼は身長2メートルに達する体躯と巨大な手の持ち主で、12度の音程を左手で押さえることができたと言われている(小指でドの音を押しながら、親指で1オクターブ半上のソの音を鳴らすことができた)。
また指の関節も異常なほど柔軟であり、右手の人指し指、中指、薬指でドミソを押さえ、小指で1オクターブ上のドを押さえ、さらに余った親指をその下に潜らせてミの音を鳴らせたという。
恵まれたこの手は、マルファン症候群によるものとする説もある。
ロンドンで彼のピアノ演奏に度々接した音楽評論家の野村光一は「彼のオクターヴは普通の人が6度を弾くときぐらいの格好」になったと証言している。野村はさらに続けて次のように述べている。
ラフマニノフの音はまことに重厚であって、あのようなごつい音を持っているピアニストを私はかつて聴いたことがありません。
重たくて、光沢があって、力強くて、鐘がなるみたいに、燻銀がかったような音で、それが鳴り響くのです。
まったく理想的に男性的な音でした。それにもかかわらず、音楽はロマンティックな情緒に富んでいましたから、彼が自作を弾いているところは、イタリアのベルカントな歌手が纏綿たるカンタービレの旋律を歌っているような情調になりました。
そのうえにあの剛直な和音が加わるのだから、旋律感、和声感ともにこれほど充実したものはないのです。
重たくて、光沢があって、力強くて、鐘がなるみたいに、燻銀がかったような音で、それが鳴り響くのです。
まったく理想的に男性的な音でした。それにもかかわらず、音楽はロマンティックな情緒に富んでいましたから、彼が自作を弾いているところは、イタリアのベルカントな歌手が纏綿たるカンタービレの旋律を歌っているような情調になりました。
そのうえにあの剛直な和音が加わるのだから、旋律感、和声感ともにこれほど充実したものはないのです。
ラフマニノフは楽譜を恣意的に取り扱う傾向という点においても19世紀以来の史上超一流演奏家の伝統を受け継ぐピアニストであり、彼の楽曲解釈は当時から物議を醸すことがあった。
アメリカの音楽評論家、ウィリアム・ジェイムズ・ヘンダーソンがラフマニノフによるショパンのピアノソナタ第2番の演奏について述べた次のような言葉からも、そうした機微を窺うことができる。
アメリカの音楽評論家、ウィリアム・ジェイムズ・ヘンダーソンがラフマニノフによるショパンのピアノソナタ第2番の演奏について述べた次のような言葉からも、そうした機微を窺うことができる。
彼は作曲家であるばかりではなく、本物のピアニストである-コンポーザー・ピアニストではなく、この日の三つめの曲目はショパンの変ロ短調のソナタだった。
この傑出した名人は、この曲を全く独自のやり方で演奏した。
彼は全ての旧習を投げ捨て、作曲者の指示を翻案さえした。ここに示されたのはラフマニノフによる原作の翻訳だった。
それも素晴らしい訳文だった…。
この傑出した名人は、この曲を全く独自のやり方で演奏した。
彼は全ての旧習を投げ捨て、作曲者の指示を翻案さえした。ここに示されたのはラフマニノフによる原作の翻訳だった。
それも素晴らしい訳文だった…。