JBLでクラシックを聴く

ヤフーブログ終了で引っ越ししてきました。主にオーディオについてです。すでにオーディオ一式は断捨離で売り払ってしまいましたが、思い出のために引っ越しして残すことにしました。

ラフマニノフ ピアノ協奏曲 第1番から 第3楽章 自作自演

DJクラシック -清水和音の“痛快ピアニスト列伝”-
2月15日 (金) 午後9:10〜午後10:00 (50分)

日本を代表する円熟のピアニストが、選りすぐりの名ピアニストたちの名演を痛快トークで紹介。

清水和音(しみず かずね) ピアニスト
昨年デビュー30周年を迎えた日本を代表するピアニスト。ジュネーブ音楽院に留学中、弱冠20歳でパリのロン=ティボー国際コンクール優勝。ベートーベンやショパンの全曲演奏にとりくみ、その成果は国内外で絶賛されている。

花澄(かずみ) 俳優、ナレーター
俳優・ナレーターとして舞台・TV・ラジオ等、多方面で活躍。ピアノはレッスン歴12年。2004・2005年度 日本パラオ国際親善大使を務める。埼玉県出身。

ラフマニノフ
モノラル レコードSP

前奏曲 嬰ハ短調ラフマニノフ作曲
(3分42秒)1928録音 mono
(ピアノ)セルゲイ・ラフマニノフ 19歳

「ピアノ協奏曲 第1番から 第3楽章」 ラフマニノフ作曲
(7分20秒)1939-40録音 mono
(ピアノ)セルゲイ・ラフマニノフ
(指揮)ユージン・オーマンデー
   フィラデルフィア管弦楽団

「ピアノ・ソナタ 第2番から 第1楽章」 ショパン作曲
(5分52秒)1930録音 mono
(ピアノ)セルゲイ・ラフマニノフ

「“謝肉祭”から ドイツ風のワルツ~終曲」 シューマン作曲
(8分07秒)1929録音 mono
(ピアノ)セルゲイ・ラフマニノフ

ソナタ イ長調 ドイチュ番号574から 第4楽章」 シューベルト作曲
(5分05秒)1928録音 mono
(ピアノ)セルゲイ・ラフマニノフ
(バイオリン)フリッツ・クライスラー

「愛の喜び」 クライスラー作曲、ラフマニノフ編曲
(4分58秒)1942録音 mono
(ピアノ)セルゲイ・ラフマニノフ


ラフマニノフのピアノ演奏を初めて聴きました。
勿論、音源は悪いのですが、何故か聞き惚れてしまいました。
清水和音さん、選曲と解説、有難うございました。




ピアノ演奏史上超一流の演奏家であり、作曲とピアノ演奏の両面で大きな成功を収めた音楽家としてフランツ・リストと並び称される存在である。
彼は身長2メートルに達する体躯と巨大な手の持ち主で、12度の音程を左手で押さえることができたと言われている(小指でドの音を押しながら、親指で1オクターブ半上のソの音を鳴らすことができた)。
また指の関節も異常なほど柔軟であり、右手の人指し指、中指、薬指でドミソを押さえ、小指で1オクターブ上のドを押さえ、さらに余った親指をその下に潜らせてミの音を鳴らせたという。
恵まれたこの手は、マルファン症候群によるものとする説もある。

ロンドンで彼のピアノ演奏に度々接した音楽評論家の野村光一は「彼のオクターヴは普通の人が6度を弾くときぐらいの格好」になったと証言している。野村はさらに続けて次のように述べている。

ラフマニノフの音はまことに重厚であって、あのようなごつい音を持っているピアニストを私はかつて聴いたことがありません。
重たくて、光沢があって、力強くて、鐘がなるみたいに、燻銀がかったような音で、それが鳴り響くのです。
まったく理想的に男性的な音でした。それにもかかわらず、音楽はロマンティックな情緒に富んでいましたから、彼が自作を弾いているところは、イタリアのベルカントな歌手が纏綿たるカンタービレの旋律を歌っているような情調になりました。
そのうえにあの剛直な和音が加わるのだから、旋律感、和声感ともにこれほど充実したものはないのです。

ラフマニノフは楽譜を恣意的に取り扱う傾向という点においても19世紀以来の史上超一流演奏家の伝統を受け継ぐピアニストであり、彼の楽曲解釈は当時から物議を醸すことがあった。
アメリカの音楽評論家、ウィリアム・ジェイムズヘンダーソンラフマニノフによるショパンピアノソナタ第2番の演奏について述べた次のような言葉からも、そうした機微を窺うことができる。

彼は作曲家であるばかりではなく、本物のピアニストである-コンポーザー・ピアニストではなく、この日の三つめの曲目はショパン変ロ短調ソナタだった。
この傑出した名人は、この曲を全く独自のやり方で演奏した。
彼は全ての旧習を投げ捨て、作曲者の指示を翻案さえした。ここに示されたのはラフマニノフによる原作の翻訳だった。
それも素晴らしい訳文だった…。

この変ロ短調ソナタの解釈は—葬送行進曲さえも違った弾き方だった—、権威ある論証に裏付けられ、聴き手に議論の余地を与えなかった。
その論理はつけ入る隙がなく、計画は論破できないもので、宣言は威厳に満ちていた。われわれはラフマニノフと同じ時代に生き、彼の神々しいまでの天賦の才能がこの名作を再創造するのを聴くことができるという運命のめぐり合わせに、ただただ感謝するほかはない。
それは天才が天才を理解した一日だった。このような場には滅多に立ち会うことができるものではない。
そして忘れてならないのは、そこに偶像破壊者の関与はなかったということだ。ショパンショパンのままだったのである。