JBLでクラシックを聴く

ヤフーブログ終了で引っ越ししてきました。主にオーディオについてです。すでにオーディオ一式は断捨離で売り払ってしまいましたが、思い出のために引っ越しして残すことにしました。

NHK BS-hi ショパン生誕200年ガラ・コンサート・イン・ワルシャワを録画

ショパン生誕200年ガラ・コンサート・イン・ワルシャワを録画しました。
DVDに焼いて、ゆっくり見るつもりです。

チャンネル :BShi
放送日 :2010年10月25日(月)
放送時間 :午後3:00~午後4:40(100分)

- デミジェンコキーシンの協奏曲 -          
                              
ショパン作曲
「ピアノ協奏曲 第1番 ホ短調 作品11」         
マズルカ イ短調」(遺作)
ピアノ:デミジェンコ
                
ショパン作曲
「ピアノ協奏曲 第2番 ヘ短調 作品21」         
エチュード ハ短調 作品10 第12“革命”」      
「ワルツ 嬰ハ短調 作品64 第2」            
「ワルツ ホ短調」(遺作)                 
ピアノ:キーシン                        
                              
              (ピアノ)ニコライ・デミジェンコ
                    エフゲーニ・キーシン
       (管弦楽ワルシャワフィルハーモニー管弦楽団
                  (指揮)アントニ・ヴィト
                              
  ~ポーランド ワルシャワフィルハーモニーホールで録画~
2010.2/27


ニコライ・デミジェンコ(Nikolai Demidenko, 1955年7月1日 - )は、ウクライナ系ロ
シア人だが、主にイギリスで活躍するピアニスト。
モスクワ音楽院にてディミトリー・バシキーロフに師事。1976年度モントリオール
際ピアノ・コンクールと、1978年度チャイコフスキー国際コンクールにおける入賞者。
1980年代には、スヴェトラーノフフェドセーエフのお気に入りのピアニストとして、
しばしば世界中でチャイコフスキーのピアノ協奏曲を演奏して回り、この時期はたびた
び来日もしている。1991年に渡英、演奏家としての成功を受けて同地にとどまり、現在
はユーディ・メニューイン音楽学校で教鞭を執る。チャイコフスキーの協奏曲、ラフマ
ニノフ、スクリャービンメトネルプロコフィエフといったお国もののほか、スカル
ラッティ、ショパンやリストなども得意としている。近年は祖国の往年の大ピアニスト
、サムイル・フェインベルクが編曲したバッハ作品集もレパートリーにとりあげ、録音
を行なった。
ともすれば骨太な響きと、たたき付けるような情熱的な演奏を繰り広げがちなロシア
系ピアニストの中にあって、デミジェンコは速やかで軽やかな指さばきと、えもいわれ
ぬ弱音の美しさが特徴的であり、時にはルバートや表情づけの多用によって、ややナル
シシスティックな一面を浮かべることがある。スクリャービンメトネル、リストの演
奏で見せるように、しばしば作品の解釈も大胆である。
彼はイギリスのレコード会社「ハイペリオン」と録音契約を結んでおり、大部分のCD
録音はハイペリオン社から出ている。同社を代表する看板ピアニストの1人として、会
社からの信頼も厚い。


エフゲニー・キーシン(Evgeny Kissin, Евгений Игоревич Киси
н, 1971年10月10日 - )はロシアのピアニスト。
人物 [編集] モスクワ生まれ。わずか2歳でピアノを学び始める。のちグネーシン音楽
大学に進んで、アンナ・パヴロフナ=カントルに今日まで師事する。10歳でモーツァル
トのピアノ協奏曲(K.466)を弾いてデビュー、11歳で初リサイタルを開くなど、幼い
頃から神童ぶりを発揮する。12歳の時、ドミトリー・キタエンコの指揮するモスクワフ
ィルハーモニー管弦楽団で弾いたショパンのピアノ協奏曲が発売され、世界中の注目を
浴びることとなる。
、小澤など多くの著名オーケストラ、指揮者と共演。
コンクール入賞歴はほとんどないが、国際的ピアニストとして世界各地で演奏・録音
活動を積極的に続けている。1986年、初来日し全国ツアーを行う。2003年再来日。いず
れも好評である。1990年9月30日にカーネギー・ホールにおいて、アメリカ・デビュー
を果たす。当日の演奏は絶賛され、CD化されて、世界的名声をいっそう確かなものとし
た。
近年は自作の発表を行っていないようだが、少年時代にはピアノ小品を作曲・演奏・
録音していた。ソ連時代には、世界各地の民謡をリサイタル後のアンコール・ピースと
して編曲したこともあった。日本の文部省唱歌を編曲したものは、まとめてアルバムも
作ったが現在入手が困難で、日本国内の愛好家やレコードコレクターの垂涎の的になっ
ている。