JBLでクラシックを聴く

ヤフーブログ終了で引っ越ししてきました。主にオーディオについてです。すでにオーディオ一式は断捨離で売り払ってしまいましたが、思い出のために引っ越しして残すことにしました。

Mozart: Clarinet Concerto; Bassoon Concerto; Sonata for Bassoon & Cello

Mozart: Clarinet Concerto; Bassoon Concerto; Sonata for Bassoon & Cello
Wolfgang Amadeus Mozart (Composer), Neville Marriner (Conductor), Academy of St. Martin-in-the-Fields (Orchestra), Karl Leister (clarinet), Klaus Thunemann (bassoon), Stephen Orton (violincello)
Format: Audio CD Recoded:9/1988

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今日みたいな涼しい日は、クラリネット協奏曲がお似合い。
・・・ファゴットも気分良く聴けました。
モーツアルトは天才だ!と曲を聴きながら、つくづく思いました。

1. Clarinet Concerto in A, K.622 - 1. Allegro Karl Leister 12:01
2. Clarinet Concerto in A, K.622 - 2. Adagio Karl Leister 7:46
3. Clarinet Concerto in A, K.622 - 3. Rondo (Allegro) Karl Leister 8:39
4. Sonata (Duo) for Bassoon and Cello in B flat, K.292 - 1. Allegro Klaus Thunemann 3:49
5. Sonata (Duo) for Bassoon and Cello in B flat, K.292 - 2. Andante Klaus Thunemann 2:58
6. Sonata (Duo) for Bassoon and Cello in B flat, K.292 - 3. Rondo (Allegro) Klaus Thunemann 2:42
7. Bassoon Concerto in B flat, K.191 - 1. Allegro Klaus Thunemann 6:58
8. Bassoon Concerto in B flat, K.191 - 2. Andante ma adagio Klaus Thunemann 6:06
9. Bassoon Concerto in B flat, K.191 - 3. Rondo (Tempo di menuetto)

クラリネット協奏曲 イ短調
ウィーン宮廷楽団のクラリネット奏者アントン・シュタドラーのために。 自作カタログには正確な完成日が記入されていない。 モーツァルトが書いた最後の協奏曲(死の2ヶ月前に完成)であり、その澄み切った曲想あるいは静かな諦観から、彼の「白鳥の歌」と呼ばれることもある。 ただし後述するように自筆譜はなく、編曲者不明の版として残されているので、ロイトゲープのために書いた「ホルン協奏曲ニ長調」(K.412)が「モーツァルトの最後の協奏曲」と言われるようである。

ともあれ、このクラリネット協奏曲はプラハ滞在中のシュタドラーに送られ、10月16日、プラハ国民劇場でのシュタドラーの慈善演奏会で初演された。 ただしこのときの作品は、以下に述べるように、現在我々が聞いているものとかなり違うものだった。

シュタドラーはクラリネットの名手というだけでなく、その改良も試みていた。 そして通常のA管より低音域に長三度低い音の出せるというバセット・クラリネットを考案し愛用していた。 モーツァルトもその「シャリュモー」と呼ばれるクラリネット独特の低音域を好んでいた。 この曲はその楽器のために書かれたが、残念ながら自筆譜は紛失し、現在の典拠は1801年にオッフェンバッハのアンドレ社とライプツィヒのブライトコップ&ヘルテル社が出版したA管指定の初版譜である。

このアンドレの楽譜が刊行された時、『アルゲマイネ・ムージカリッシェ・ツァイトゥング』紙に批評が出たが、評者はこの曲のモーツァルトの自筆楽譜を持っていたらしく、アンドレの版では、至るところでクラリネットのパートの低音域が改造されていることを指摘し、「かなり訂正しなければならない」といっている。 残念なことに、その自筆の譜は残っていない。 しかし多くの誤りは、この批評をもとにして訂正することができるので、現在まで数個所が訂正されている。

こうして、新全集(1977)ではエルンスト・ヘスによりほぼ原曲に近い形で復元されたといわれる版を先に置き、その次に通常のA管クラリネット版(編曲者不明)を収録している。 そしてこの協奏曲の原典とも言うべき断片楽章 K.621b(K³.584b)を補遺として加えている。
たとえ編曲版であっても、クラリネットの不朽の名作として知られているこの曲を賞賛する人は多い。

独奏楽器の扱いでは、高音・中音・低音すべての音域が完全に使い尽くされ、しかも名人芸の陳列はまったくない。 自由なカデンツァの機会はない。 最高の単純さとその効果が、単なる名人芸の陳列と違うことを理解するには、クラリネットのもう一人の偉大な理解者であり愛好者であったカール・マリア・ウェーバーの類似の作品と比較すればよい。

また、モーツァルトの音楽の捕らえどころのない魅力についても
クラリネットのようなリード楽器がこの音楽的ポエジーのなかにおけるように素晴らしいものにされたことはかつてなかった。 よく響くと同時に清澄で、饒舌でありながら穏やかで、官能的でありながら人間離れした、鋭さと柔和さとを兼ね具え、軽やかかと思うと(グラーヴェでは)本質の深みをみせるといったこの音色の可能性は、何一つないがしろにされていない。


ファゴットとチェロのためのソナタ 変ロ長調
デュルニッツ男爵の遺品の中から見つかったファゴットバスーン)のための作品の一つと伝えられ、 1805年ブライトコップ社からの全集に収録されたが、自筆譜も写譜も行方不明なので、この曲の低音部がはたしてチェロなのか分からず、2本のファゴットのためのソナタであった可能性もあるという。


ファゴット協奏曲 変ロ長調
この協奏曲は、音域と音量に限界のある楽器(ファゴット)に対して、モーツァルトがいかにオーケストラ伴奏の使い方の点で熟練しているかを証明している。 独奏楽器の欠点を補うために、叙情的な特性、敏捷性、音色の豊かさ、ユーモア、そして幅広い音程飛躍が可能であるといった長所を非常に積極的に受け入れることができた。 こうして、まさにファゴットという楽器固有の協奏曲が書き上げられた。 (そのことを、この曲をチェロ協奏曲に編曲しようと試みたチェリストならばだれでも躊躇なく証言するだろう。)

この曲が作られたのはイタリア旅行(1772年10月〜73年3月)そしてウィーン旅行(1773年7月〜12月)から帰郷した時期であり、旅先で受けた刺激・様式を随所に取り入れているといわれている。 また、1773年から77年にかけてはモーツァルトが「ギャラントリー」に転向していた時期であり、この曲はその傾向をいち早く示す記念碑的な作品となっている。 変ロ長調という調性は特にファゴットに向いているといわれ、モーツァルトが18歳でこの楽器の性能を把握したことは驚くべきことである。 ただモーツァルトは、演奏者の必死な形相にもかかわらず少しとぼけた親しみのある音色をもつこの楽器が幼い頃から好きだったこともあり、この時期に協奏曲を完成できたことが後のオペラや交響曲における極めて性格的な書法に役立った。 たとえば、おしゃべりなパパゲーノが口に錠をかけられ、必死に言葉にならない声を発するとき、この楽器が見事にそれを代弁したりする。

出版されたのは遅く、1790年頃、オッフェンバッハとアンドレから初版された。 アンドレがこの協奏曲を出版したときには売行きが良く、4年もしないうちに再版になったという。