JBLでクラシックを聴く

ヤフーブログ終了で引っ越ししてきました。主にオーディオについてです。すでにオーディオ一式は断捨離で売り払ってしまいましたが、思い出のために引っ越しして残すことにしました。

今月のこの1曲(2007.4月)-J.S.バッハ・フルートソナタ ロ短調 その1

みなさま

 4月に入ってからは、あまり好天に恵まれず雨の日もけっこう多かったのですが、晴れればやはりもう晩春。月の後半には初夏のような気温となる日も増えてきました。いかがお過ごしですか。



 さて、先月は、テレマンの「パリ四重奏曲集」を紹介しました。
 フルート、ヴァイオリン、ヴィオラ・ダ・ガンバ(又はチェロ)とチェンバロによる四重奏曲ですが、楽想からも音色の点からもフルートの活躍が目立つ曲でした。
  なお、その後、先月には間に合わず紹介できなかったブリュッヘン、シュレ
 ーダー、ビルスマ、レオンハルトによるチェロ版のCD(1964年録音、TE
 LDEC)も届きました。この曲の往年の名盤とされたものですが、今日の眼(耳?)
 からすると、やはりこのモダン楽器による演奏は先に紹介した2種のようなピ
 リオド楽器による演奏の魅力には抗し切れないような印象を持ちました。


 今回は、前回に引き続きというわけではありませんが、このフルートに焦点を当てて、この1曲を聴いていきたいと思います。

 フルートという楽器は、高声部を担うその晴れやかで輝かしい音色でしばしば独奏旋律楽器として親しまれ、バロック時代には王侯貴族が嗜む楽器としても好まれたといいます。やがて18世紀半ば以降にはオーケストラの中にも定位置を占めるようになりますが、独奏楽器としてのフルートの黄金時代はこの18世紀、後期バロックからロココ、前古典派の時代なのかもしれません。
 この時代に、高名なフルート教則本を著したドイツのクヴァンツ、さきのテレマンの曲を初演したメンバーの一人フランスのブラヴェなど、フルートの名手が多数輩出しました。彼らは自らもフルート曲を作曲し、また多くの作曲家が彼らに刺激されて作品を書き残しています。
 その後、フルートは、管弦楽の一員として交響曲管弦楽曲の中で重要な役割を演ずることは多くなりますが、反比例して(モーツァルトのフルート協奏曲などを例外に)室内楽や独奏者としてのフルートは少なくなります。再びフルートが協奏曲や器楽曲の独奏で活躍するのはむしろ近代になってからとなるようです。


 また、バロック時代には、フルートといったとき、縦笛系のブロック・フローテ、いわゆるリコーダーと横笛系のフラウト・トラヴェルソの2種があったと言われています。後者が現代のフルートにつながっていることは言うまでもありません。
 この横笛フルート(フラウト・トラヴェルソ)は、18世紀に入ってから急速に広まったと言われています。
 日本にも雅楽篳篥をはじめ篠笛や能管などがあります。新羅三郎義光平敦盛の逸話など、横笛というのは何とはなしにロマンティックな感じがするものですが、西洋バロックの作曲家にとってもフラウト・トラヴェルソというのは、やはり魅力的な楽器であったようです。



 テレマンと同世代のドイツ、後期バロックの大作曲家ヨハン・ゼバスチャン・バッハ(1785-1850)も、そうした一人であったのでしょうか。彼も、有名な管弦楽組曲第2番など横笛フルートを活用した作品を残しています。

 J.S.バッハは、独奏フルートのための曲も残しています。文字どおりフルート一本で対位法的な音楽を表現しようとした名曲、無伴奏フルート・パルティータをはじめ、フルートとオブリガートチェンバロ又は通奏低音のためのフルート・ソナタを複数書いているのです。
 このうち、バッハのフルート音楽、いな古今のフルート音楽の中でも、最高傑作との評価も高い、この分野屈指の名曲が、フルートとオブリガートチェンバロのためのソナタロ短調BWV1030です。
(そういえば管弦楽組曲第2番もロ短調でした。)

 バッハのフルート・ソナタには、オブリガートチェンバロとの二重奏ソナタBWV1030や1032と、複数の通奏低音楽器(普通はチェンバロとチェロやヴィオラ・ダ・ガンバなど)とのソナタBWV1034や1035があります。(BWVはバッハ作品目録番号の意)

 このロ短調作品は前者で、まさに対等な関係でフルートとチェンバロが協演する協奏風ソナタとなっています。
 ここでは、フルートとチェンバロの右手(上声部)、左手(下声部)とが独立したパートを構成し、あたかもトリオ・ソナタ(これはバロック期特有の楽曲形式)のような趣を持って、しかもフルートとチェンバロが競い合い、歌い交わす近代的な二重奏ソナタをも思わせるような形になっているのが特徴です。


 フルートとオブリガートチェンバロのためのソナタロ短調BWV1030は、今日1836年から37年頃の自筆譜によって知られており、前回のテレマンの稿で述べた、バッハがライプチヒのトーマス・カントルに就任した後のいわゆるライプチヒ時代に書かれたと考えられています。(この曲の前身になる曲がこれ以前のケーテン時代にあったのではないかという説もありますが。)
 当時、バッハは、トーマス・カントルの職務の傍ら、かつてテレマンライプチヒ時代に創設したコレギウム・ムジクムの指揮も務めており、少しあとの管弦楽組曲第2番やチェンバロ協奏曲などと同じく、コレギウム・ムジクムとの世俗的なコンサート音楽の関わりがあるのかもしれません。



 バッハのフルートとオブリガートチェンバロとのソナタは、通奏低音とのソナタが4楽章構成なのに対して、3つの楽章でできていて、このロ短調ソナタも3楽章から成っています。

 第1楽章は、アンダンテ。ロ短調
 フルートとチェンバロとが三声(トリオ)による見事な対位法を展開しながら、半音階も含む美しい楽想を聴かせてくれます。
 冒頭チェンバロの分散和音風のつまびきをバックに、フルートが少し哀感を帯びた格調の高い主題旋律を奏して始まります。この主題を第1主題とすると、次により細かな動きを持った第2主題が示され、第1主題による主楽節が4回、第2主題による副楽節が3回と、それぞれの楽節が交互に変形展開されて楽章を形作っていきます。