JBLでクラシックを聴く

ヤフーブログ終了で引っ越ししてきました。主にオーディオについてです。すでにオーディオ一式は断捨離で売り払ってしまいましたが、思い出のために引っ越しして残すことにしました。

ベートーヴェンを解剖した医師

昨日、学術誌を見ていたら、ベートーヴェンを解剖した医師の名前が有りました。
メモとして、残しておくことにしました。

気分が悪くなりそうな方は、お読みにならないでくださいネ。


世界で最初の病理学教授、ウィーンの病院の医師Karl Rokitansky(1804-78)
Ludwig van Beethovenの解剖報告・標本保管していました。
実際にベートーヴェンを解剖したのは、彼の同僚のJohann Wagner(1827-?)でした。

<剖検報告>
四肢は極度に痩せ衰え、黎い溢血(いつけつ)点が散在している。腹部は膨隆著しく、腹水が多量に充満している。
肝臓実質は正常の約半分程度に萎縮し、なめし皮のように硬く、青緑色を呈し、表面に凹凸が存在し、実質にもソラ豆大の結節が散在している。
胆管内には結石様の沈渣を多量に認め、脾臓膵臓も正常よりかなり大きく、硬化している。



出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

ベートヴェンの晩年

慢性的な腹痛や下痢など体調の悪化に加え、甥カールをめぐる養育権争いやカールの自殺未遂事件が起こり、苦悩の日々を送っている。
しかし交響曲9番やミサ・ソレムニスといった大作を発表した前後からの晩年の作品群はベートーヴェンが到達した境地の高さを示すものとなっている。
こうして名実ともに一流の作曲家となったベートーヴェンであったが、長期間の飲酒癖(とくに質の悪いワインを好んだ)により肝硬変から黄疸と肝不全を患って、もはや治癒の見込みはなくなっていた。

1826年、ベートヴェンの病は命を脅かすほどまでに進行し、シューベルトなどが見舞いに訪れるなどしていたが、1827年3月26日、ついに波乱に満ちた56年の生涯を終えた。
ベートーヴェンが亡くなったとき、ウィーンには嵐が吹き荒れていた。
臨終の床のベートーヴェンは、稲妻が閃きすさまじい雷鳴がとどろいた瞬間に起き上がり、自分の拳を睨みつけ、目に見えぬ何者かと戦うようなしぐさをしたかと思うと、そのまま息を引き取ったと伝えられる(医学的に見て、肝不全の患者は光に脳過敏状態となり、大げさに反応するとされ、ベートーヴェンの場合もそれにあてはまる)。
その葬儀は3万人もの人々が駆けつけるという異例のものであった。