JBLでクラシックを聴く

ヤフーブログ終了で引っ越ししてきました。主にオーディオについてです。すでにオーディオ一式は断捨離で売り払ってしまいましたが、思い出のために引っ越しして残すことにしました。

日本の政治家に知って欲しい「チェ・ゲバラ」

2013年12月2日に再放送された、NHK-BSプレミアム 追跡者 ザ・プロファイラー「それでも僕は見過ごせない ~チェ・ゲバラ世界を変えようとした男~」を紹介します。


世界は自分たちで変えられる! 貧しい弱者を救おうと銃を手に戦った革命家ゲバラ。アルゼンチンで生まれ、医師の道を歩むも、ある出会いがゲバラの運命を変えた……。目覚め、夢、苦悩、別れ、壮絶な30代の死。不可能に挑み続けた若者の勇気と感動の生涯に迫る。

勇気をくれる名言……「もし私たちが、不可能な理想を夢見ていると言われたら、何千回でも答えよう。『私たちには、できる!』」弱者が苦しむ世界を変えるために戦った、20世紀の革命家チェ・ゲバラ。平凡な若者の生き方を変えた、運命の旅とは? なぜ医師の彼がキューバ革命で英雄に? 読む人の胸を打つ、盟友カストロへの『別れの手紙』とは?




チェ・ゲバラは知ってはいましたが、この番組を見て少しは彼の事が分かりました。
能力とは環境が保証するのをツクヅク感じます。

如何に能力が有っても、その人を評価する人物が居る事。
また、その評価する人物が成功する事です。

ゲバラキューバカストロと合い、キューバ革命を成し遂げたが、”ソ連”の考え方で袂を分かち、
再び、1965年 国際的な革命闘争に参加するためキューバを離れる。

コンゴで、革命闘争(コンゴ動乱)に参加。しかし、革命軍は寄生虫のような者だった。
彼らは働かず訓練もしない、そして住民に対して食糧提供や労役を強要していた。
ゲバラはこれに落胆し、1966年 コンゴ動乱から引き揚げた。

ゲバラは更に革命の地、ボリビアに革命兵士として参加した。
1967年10月8日 バジェグランデ近郊のイゲラ村の近くで捕えられ、10月9日に処刑(銃殺刑)された。39歳だった。

日本の政治家に知って欲しいのは「チェ・ゲバラ」の行動と考え方である!!。