JBLでクラシックを聴く

ヤフーブログ終了で引っ越ししてきました。主にオーディオについてです。すでにオーディオ一式は断捨離で売り払ってしまいましたが、思い出のために引っ越しして残すことにしました。

今月のこの1曲(2005.7月)ヴォーン=ウィリアムズ・ロンドン交響曲 その2

 ロンドン交響曲は、先に述べたようにヴォーン=ウィリアムズの2番目の交響曲となりますが、その交響曲がまだあまり聴かれることのなかった比較的早い時期から聴かれていただけあって、彼の交響曲中でも聴きやすく馴染みやすい1曲だと思います。作曲者もバルビローリへの手紙でこの曲に特別の愛着を持っていることを伝えたということです。
 1913年に完成され、翌年3月に初演されましたが、同年7月にドイツ初演のため指揮者フリッツ・ブッシュのもとに郵送された手書きスコアは第一次世界大戦勃発の混乱の中で紛失してしまいます。そこで、この曲の作曲を薦めた友人の作曲家バターワースの協力も得て、初演のパート譜を基に記憶を辿りながら原曲を復元したのです。(このため、この曲は第一次大戦で戦死したバターワースに献呈されています。)
 その後、1918年、20年、33年と3回にわたり改訂が加えられ、現在はこの改訂稿で演奏されています。(近年英国の指揮者ヒコックスが初稿復元版による録音をしましたが、初稿では1時間余りかかり、現行版が概ね43分から48分くらいの演奏時間として、かなり大幅な改訂が行われたことがわかります。残念ながら未聴。)

 この曲は、ビッグ・ベンのチャイムやラベンダー売りの呼び声が聞こえたり(作者)するなど、ロンドンのイメージを喚起し描写する音楽となっていると思えますが、作曲者自身は、「それらは偶発的なものにすぎず音楽の本質ではない、この曲の題名は描写的な作品と受け取られるかもしれないけれども、作者の意図するものではない。むしろ『ロンドンっ子による交響曲』としたほうが適切で、絶対音楽として聴かれるべきもの」といったことを述べているそうです。

 曲は、伝統的な交響曲形式を踏まえた4つの楽章からできていて、交響詩風の印象ではあっても、少なくとも第1楽章は明らかに交響曲らしいソナタ形式のフォルムで書かれていると思われます。
 その第1楽章は、まずレント(ゆっくりと)の序奏で始まります。作者はこの交響曲はロンドン生活の印象を音楽化したもので決して描写的なものではないとしているが、これは朝まだ明けやらぬ霧のテムズ川の情景を描いたものと受け止められている。やがて、ハープがビッグ・ベンの鐘の音を静かに響かせます。
 すると、音楽は急速に騒がしくなり、主部アレグロ・リソルートとなる。フォルティシッシモで、半音階的な下降旋律の第1主題が示される。このほか上昇的な第2主題やユーモラスな旋律など、さまざまな音による大都会の雑踏が彷彿とされる。
 展開部は、一転、静かな雰囲気となり、大通りから離れた裏町の風情といわれますが、ハープの和音、ヴァイオリン・ソロによるロマンティックな旋律は、この曲に後期ロマン派の余韻を感じさせます。再現部では、再び、賑やかさを増していって、最後は第2主題を高らかに響かせて閉じます。

 第2楽章はレント。静かな味わいの緩徐楽章で、ロンドンでも閑静な界隈の夕暮れを描いたものと言われます。英国的というのか、イングリッシュ・ホルンがヴォーン=ウィリアムズらしいミステリアスな旋律を奏でます。
 第2の部分では、ヴィオラ独奏により民謡的というか、より古風でメロディックな感じの旋律が導かれる。やがて幅広くロマン的(と言ってもヴォーン=ウィリアムズらしく控えめな表現ですが)に発展します。再び冒頭の旋律が戻ってきて第3部となりますが、最初よりも短くなっています。

 第3楽章は、アレグロ・ヴィヴァーチェスケルツォ夜想曲)と名付けられています。テンポも速く、なかなかに活気のある楽章なのですが、そこはやはり英国紳士の音楽。どことなく節度があって、大きく羽目を外すことはありません。軽やかな感じのリズミカルな旋律が続きます。
 トリオでは、舞曲的な感じの主部とはっきりした対照を示す旋律が現れます。
 トリオの後半はスケルツォの主題と重なるようになって、スケルツォ主題が再現します。そのあと、急にテンポを落とし、断片的にスケルツォ主題をはさみながらも音楽は落ち着いた感じになり、夜想曲の名にふさわしい静かな部分となって、そのまま終わります。

 第4楽章は、アンダンテ・コン・モートの導入的な部分を置いてから、マエストーソ(威厳をもって)で、やや重い足取りのしかしそれほど暗くはない行進曲調の主題が登場します。これは、当時のロンドンの失業者たちの行進曲と言われるものです。
 これが繰り返されたあと、テンポを速め、また都会の雑踏とでも呼ぶべき騒がしくせわしない感じの部分となります。これも長くは続かず、再びあの行進が戻ってきます。そしてまた騒がしくなるかと思ううちに、再びハープのビッグ・ベン・チャイムが聞こえてくると、エピローグとなります。
 第1楽章冒頭の雰囲気が戻ってきて、ロンドン、テムズ河畔に夕闇が下りてきます。最後は、ヴァイオリン・ソロに導かれ、一瞬残照が燃え上がるように高まりますが、やがて消えるように曲を閉じていきます。

* * *

 この曲は、ヴォーン=ウィリアムズの初期(改訂版は中期?)交響曲の代表作であり、現在のようにその交響曲全集がいくつも登場する以前から、比較的よく知られていたものです。
 このため、アナログ・レコード時代にもバルビローリの旧録音(1957年)盤を聴いていましたが、現在、手元にCDで5種類ほどあります。


 まず、サー・ジョンと呼び慕われたバルビローリ指揮ハレ管弦楽団の演奏。これは晩年1967年の新盤(EMI)のほうです。イギリス人指揮者ではありますが、イタリアの血も受けたバルビローリの演奏は、マーラーブラームスでも歌心に溢れたロマンティックでカンタービレな演奏を残していますが、この、どちらかというと紳士的な、悪く言えば血の気の薄い英国風交響曲でも、愛情を込めて熱い演奏を繰り広げています。
 バルビローリは、南極交響曲や第8番の初演をまかされ、作曲者とも直接親交がありました。常に霧や靄のかかったような雰囲気のヴォーン=ウィリアムズの曲でも、比較的メリハリのある音楽として再現されています。この曲での第1楽章展開部のソロ部分などドイツ・ロマン派みたい。ヴォーン=ウィリアムズがとても聴きやすくわかりやすい音楽となっています。


 次は、英国音楽界の重鎮として尊敬された、サー・エイドリアン・ボールト指揮ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団の録音(EMI)です。これは1971年のこの指揮者にとってのステレオ再録音盤(ボールトはモノラルでも全集録音している)。ボールトは、早い時期からヴォーン=ウィリアムズのよき理解者であり、数多くの作品を初演しています。
 ボールトの指揮は、決して聴きやすくわかりやすくしようというものではなく、正面から堂々と取り組んでいるといった趣ですが、それでいて、ヴォーン=ウィリアムズの音楽の本質をとらえたような演奏になっているのはさすがです。


 ヴォーン=ウィリアムズの交響曲を積極的に取り上げるのはどうしても英国の指揮者に偏りがちですが、アンドレ・プレヴィンアメリカの出身。(ほかに同じアメリカ人のマイケル・ティルソン=トーマスもヴォーン=ウィリアムズに力を入れているけれど。)
 プレヴィンは、この曲を再録音していますが、これはロンドン交響楽団を指揮した旧盤(BMG、録音年不明1967~72年頃)です。プレヴィンの演奏の特長は、どの作曲家の作品についても言えることですが、音楽がとてもわかりやすいということです。それでいて決して安易な感じはなく、高次の仕上がりを示していることは天性のものだと思います。やや派手というか線が太くて、アメリカのオケのシベリウス国民楽派のように聞こえるところもありますが、プレヴィンのヴォーン=ウィリアムズは、外国人であることがプラスに働いた例と言えるのかもしれません。


 次に、ベルナルト・ハイティンク。彼もコヴェントガーデン・ロイヤルオペラなど英国との関係が深く、イギリス人だと思っている人もいますが、オランダ人の指揮者です。ロンドン・フィルとの1986年の録音(EMI)。
 ハイティンクの演奏も、この指揮者が近年ますます円熟してきた中で、ややおとなしめながらも中庸の美徳的な演奏を行っています。英国音楽を熟知しつつも、それを客観的にとらえ演奏しているためか、そこに余裕のある表現が生まれている気がします。


 最後に、アンドルー・デイヴィスとBBC交響楽団は、プロムス・コンサートでも有名なコンビです。
 A.デイヴィスは、中堅世代で最も人気のある英国人指揮者の一人として、英国の管弦楽作品の録音に積極的に取り組んでおり、このヴォーン=ウィリアムズのロンドン交響曲でも共感的な演奏を残しています(TELDEC、1993年録音)。なお、このCDには、最終改訂の1933年でなく、1920年版と表記されています。
 最近、この交響曲全集は格安で再発売(輸入盤)されたので、録音も良く、いま、最も手に入れやすい全集セットと言えるかもしれません。(これ以外にも、ボールト以下は、廉価輸入盤で全集が揃います。)



 報道によると、ロンドンでは、相次ぐテロ事件で警察の取り締まりも厳しくなっているとのこと、しかし、早く平穏を取り戻し、また、これまでどおり誇り高いながらも他国から来た人々にも自由で寛容なロンドンであってほしいと思います。
と言うわけで、今回は、ヴォーン=ウィリアムズのロンドン交響曲を取り上げました。


 ヴォーン=ウィリアムズについては、さほど情報も持ち合わせず、書くことも少ないかと思っていたのですが、思いの外、長くなってしまいました。
今回もおつきあいいただき、ありがとうございました。

ではまた。


                             恐惶謹言

                    樹公庵 日々