JBLでクラシックを聴く

ヤフーブログ終了で引っ越ししてきました。主にオーディオについてです。すでにオーディオ一式は断捨離で売り払ってしまいましたが、思い出のために引っ越しして残すことにしました。

今月のこの1曲(2005.7月)ヴォーン=ウィリアムズ・ロンドン交響曲 その1

みなさま

 いよいよ梅雨も明け、夏も本番となりました。いかがお過ごしでしょうか。ここのところはまだしのぎやすい日が続いていますが、またこれから暑くなりそうです。

 さて、7月7日は七夕ですが、またMahlerianでもあります私にとっては、今年のこの日は、145年目のマーラーの誕生日でもありました。
 そこで、今回は、それを記念して、久しぶりにマーラーを取り上げようかと思っていたところ、その7日に、ロンドンで市内交通機関への同時爆破テロ事件が起きてしまいました。
 2012年夏季オリンピック開催が決まった朗報を帳消しにするかのような事件でした。

 4年前の9.11ニューヨークの同時テロは、規模も大きく衝撃的でしたが、今回は、昨年のマドリードの場合と同じく、より身近で日常的な交通機関でのテロであり、特に地下鉄というのは例のサリン事件の記憶とも重なり、日頃漠然とした不安感を抱きながら利用している乗り物、空間だけに余計切迫したリ
アリティを感じました。
 もとより、イラク国内では頻繁に自爆テロが起きて、多数の人々が亡くなっていること、その元にある戦争にも、平然とし無感覚であってはならないと思いますが...。
 また、ロンドンは、実際に住んでいた人から見たらとるに足らないようなほんのわずかな時日ではありますが、旅行先として訪問、滞在したことのある土地であり、その折親切にしてくれた方もありましたし、少々懐かしい思い出もありますので。

 ここに、謹んで、犠牲になった方々、ロンドン市民の皆さんに、心からのお悔やみとお見舞いを申し上げるゆえんです。


 そこで、今回の「今月のこの1曲」は、ロンドン市民への同情と激励の気持ちを込めて、市民の皆さんに捧げたいと思い、ロンドンの名を冠し、最もこの都市のイメージを喚起すると言われる作品を取り上げることにいたしました。


 さて、その曲とは、その名もずばり、A London Symphony(ロンドン交響曲)という作品です。作曲者は、英国を代表するシンフォニストであるレイフ・ヴォーン=ウィリアムズ(Ralph Vaughan Williams 1872-1958)です。
(なお、そのファーストネームは、英語ではラルフですが、本人はレイフと読み替えて呼ばれることを望んだということです。古英語ないしアイルランド風にはレイフと読むらしい。姓が長いので、英国音楽通の評者はしばしばRVWと略すようですが、何だかどこかの車の話みたいな感じになるので、ここでは
使わないことにします。)

 ヴォーン=ウィリアムズについては、近年はかなりCDも見かけるようになり、知っている人も多くなってきたのではと思われます。それでも、学校時代にブラスバンドをやっていた人の中には吹奏楽用の曲などで彼の音楽に接した人もいるかもしれませんが、そういう経験なしに、彼の音楽に興味を持って聴いている人間というのは、わが国ではまだまだ少数派なのではないでしょうか。
 実は、かく言う私は、マーラーブルックナーよりも早く、まだクラシックのレコードを集め始めたばかりの頃に、ヴォーン=ウィリアムズの名を知っていました。(エヘン。)

 種を明かせば、その頃レコードを買うと、店でレコード・マンスリーという広告小冊子を入れてくれました。その中に、ヴォーン=ウィリアムズの南極交響曲の発売予告が出ていたのです。南極交響曲!。英雄交響曲や田園交響曲といった標題付き交響曲を聴き始めたばかりの中学生初心者には、魅力的な名前でした。もちろんヴォーン=ウィリアムズなんて聞いたこともありませんし、値段もレギュラー盤で高かったので、手は出ませんでしたが。以来、その名は私の記憶に刻みつけられたのです。
 ちなみに、南極交響曲をようやく聴いたのは、よく通った高円寺のクラシック喫茶「ネルケン」でした。(お世話になりました。今も健在かしら?)リクエストしたのはいいけれど、その日は他に誰もおらず、薄暗い店内で一人、ウィンドマシンによるブリザード吹きすさぶこの曲を聴いたときは少々不気味で、ほんとにうすら寒くなったのを覚えています。

 大学の一般教養課程「音楽」の期末試験(現代音楽についての自由な小論文)で、私は、マーラーと現代の交響曲への影響みたいな趣旨で、ショスタコーヴィッチと並んで、このヴォーン=ウィリアムズをポスト・マーラーみたいに書いた記憶がかすかにあります。
何の実証も挙げず、感覚的にマーラーの影響を論じたのが、現代作曲家の教授のお気に召さなかったか、そもそも無茶苦茶なエッセイ風の答案が論文として評価のしようがなかったためか、Aはもらえませんでしたが。


 少々脱線しましたが、ことほどさように、比較的早くからヴォーン=ウィリアムズには興味を持っていたのですが、なかなか実際の音を聴く機会は得られませんでした。
 もっとも、実際には、その作品とは知らずにグリーンスリーヴスによる幻想曲を聴いていたのですが、FMで、作曲者名を聞き漏らし、しばらくの間、ヴォーン=ウィリアムズとは結びつかずにいました。そうした中、レコードで最初に手に入れたのが、このロンドン交響曲と第8番の組み合わせだったかと思い
ます。バルビローリの指揮でした。
 当時は、ヴォーン=ウィリアムズの国内盤レコードは少なくて、廉価盤ではこれくらいしかなかったのです。レギュラー盤では、先ほどのボールトの南極(国内ではじきに廃盤になってしまいましたが)やプレヴィンによる進行中の全集がありましたが、なかなか決心がつかなかったのです。

 ところが、ここに一人の友が登場します。仮に♯くんとしておきます。彼は小学校時代の親しい友人でしたが、偶然大学で再会したのです。で、話してみると、彼もクラシック音楽、それもブルックナーやなんとヴォーン=ウィリアムズなどを聴いているというのです。(私もすでにブルックナーは聴いていましたが、版の問題などその理解が深まったのは彼のおかげです。私がマーラーを聴いているというと、あまりマーラーを得意としていなかった彼も、その後マーラーを聴くようになりました。)
 それも、ヴォーン=ウィリアムズの第4番と第9番という標題なし交響曲のレコードを持っていました。早速、彼のレコードを聴かせてもらったのですが、案の定、晦渋な感じの音楽でしたが、未知の作品を知ることができたのは大きかった。プレヴィン/ロンドン響の全集録音の中の2枚でした。

 これをきっかけに、その後思い切って「海の交響曲」のプレヴィン盤を買ったりもしました。廉価盤で再発されたボールトの南極は、就職後にようやく手に入れました。
 が、当時は、その交響曲全集を揃えるなどとは思いもしませんでした。ところが、今では、国内盤でも輸入盤でもすぐに数種類の全集セットが手に入るのですから便利になったものです。
(もっとも、これには、自国の音楽を大事にする英国人の、自国作曲家の作品を広める戦略があるとにらんでいるのですが。演奏が増えれば印税収入も増えるし。振り返って、わが国の場合は...、日本作曲家選輯シリーズを香港のNAXOSレーベルが出してくれていますが、国内の政治も企業も自国の文化創造には消極的な状況は一向に変わりそうにありませんなぁ。)

* * *

 さて、ヴォーン=ウィリアムズですが、あまり馴染みのない作曲家と思われるので、簡単に紹介します。
 1872年の同年生まれには、スクリャービンがおり、前年にツェムリンスキー、翌年にラフマニノフが生まれ、シェーンベルクは1874年生まれでラヴェルが75年、10年前の62年にはドビュッシーが、10年後の82年にはストラヴィンスキーが生まれています。
 19世紀生まれではありますが、作曲家としての本格的な活躍は20世紀に入ってからで、没年も1958年ですから、20世紀同時代の作曲家と言ってよいと思います。ただし、同世代、前後に居並ぶ音楽史上の変革期の上記作曲家たちと並べてしまうと、その作風、位置づけを見誤ってしまうかもしれません。(もっともラフマニノフほどは保守的でもありませんが、基本的には伝統的な調性音楽の枠内にとどまったと思えます。)この中では最も長寿をまっとうした人生ですが、亡くなる直前まで創作力は衰えなかったようです。晩年はGrand Old Man(中国風には老大人?)と、英国民から敬意を込めて呼ばれたという。

 ヴォーン=ウィリアムズは、グロースター州のダウンアンプニーという小さな町で生まれ、父は英国貴族の家系の牧師で、母は有名なウェッジウッド家出身ということですが、父親とは幼いうちに死別したようです。幼い頃からヴァイオリンを学び、王立音楽大学で作曲家を志したようです。

 その作風は、悠然として恰幅のよい大人の風格を持ったものです。西洋音楽の堅固な基礎の上に、当時の新しい音楽の潮流も吸収しての正統派的な揺るぎないものを感じさせますが、他方一般受けする要素に乏しく、英国以外ではなかなか人気が出ないのも多少わかるような気もします。
 彼は、若い時期に友人のホルストバターワーストらともに英国民謡の採譜・保存活動に取り組むとともに、チューダー朝時代の教会音楽など古い音楽の発掘・研究も積み、そうした英国音楽の伝統を背景に踏まえつつ、ブルッフに正統的19世紀ドイツ音楽を、フランスのラヴェル(この場合師の方が3歳年下)には近代フランスの新しい和声をも学んだという、近代英国音楽の代表旗手に相応しい経歴を持っています。
 前代までの英国の作曲家、例えばヴォーン=ウィリアムズの師パリーやエルガーなどが大陸伝来の音楽語法を移入、消化して、英国音楽復興の基礎を作ったとすれば、ヴォーン=ウィリアムズはこれらの遺産に自国の伝統的な音楽や民謡などを加えて、まさに英国近代音楽を確立した存在と言えるのかもしれません。

 ヴォーン=ウィリアムズといえば、英国を代表するシンフォニストであり、交響曲を9曲(ベートーヴェンドヴォルザークと同じ!)書いています。最初の交響曲は、33歳から37歳にかけて作曲し、大器晩成型を地でいく存在です。(それでいて、最初の交響曲は、マーラーの第8番が発表される以前に着
手されながら、同様の声楽カンタータ的な作品となっているといったユニークさをも持っています。)
 このうち、今回取り上げるロンドン交響曲(第2番に相当)は、海の交響曲(第1番)、田園交響曲(第3番)、南極交響曲(第7番)とともに、こうした名称で発表されており、交響曲第2番「ロンドン」とは呼ばないことになっています。
 また、英国合唱音楽の伝統に根ざした声楽作品は特に多く、無伴奏から管弦楽付きのものまで多様です。室内楽分野では数は少ないのですが、弦楽四重奏曲がなかなか味わいがあります。
 オペラもいくつか書いているなど、幅広い分野の作品を残していますが、揚げひばり、タリスの主題による幻想曲、グリーンスリーヴズによる幻想曲といった管弦楽小品にも魅力的な作品が多い(特にグリーンスリーヴズはお薦め)ので、むしろこうした曲から彼の作品に親しむのがよいかもしれません。