JBLでクラシックを聴く

ヤフーブログ終了で引っ越ししてきました。主にオーディオについてです。すでにオーディオ一式は断捨離で売り払ってしまいましたが、思い出のために引っ越しして残すことにしました。

今月のこの1曲(2005.8月)-ブリテン・戦争レクイエム その1

みなさま

 残暑お見舞いも申し上げぬうちに処暑も過ぎてしまいましたが、暑い夏、いかがお過ごしだったでしょうか。


 今年は、終戦後60年という大きな節目の年にあたり、常以上に世界と人々の平和について思いを致しました。(60年というのを節目と感じるのは、やはり東洋的な感性でしょうか。)

 人というものは、反省をしても時とともにすぐにものごとを忘れてしまうもののようで、憲法を定めたときの初心、平和主義や政教分離も、一部の人たちには遠い昔のことになってしまったようです。内外でいろいろきな臭い話も伝えられる中、戦争の悲惨な廃墟の中で誓い、選択した理想を、いとも安易に捨ててしまおうとする人たちがいます。
 先の大戦での大きな犠牲の上に、今日の平和と自由な社会が築かれたことに思いを馳せ、「日本国民は、恒久の平和を念願し、.....全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認」し、「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓」ったことを、この際、もう一度、思い出したいものです。

 心ならずも戦争に行き、あるいは巻き込まれ、命を落とした人々がどれほどたくさんいたことでしょう。
 私の叔父の一人も戦争末期にフィリピンで亡くなりました。父は最も仲のよかった弟が死んでも遺骨も帰ってこなかったと今でも残念そうに語ります。
 なのに、何も想像できない狂信的国粋主義者ならともかく、同じように肉親を失いながら、いまだに名誉の戦死と戦禍で亡くなった人々の死とを分け、靖国合祀や政治家の公式参拝を喜ぶ、戦前の国家主義思想に洗脳されたままのような人たちの神経が、私にはわかりません。むしろ、強い違和感と不快感すら覚えます。世界中で、いまも聖戦を叫び、テロを繰り返す人たちとも、だぶって見えて仕方ないくらいです。
 政治家も、官僚も、政教分離の何たるかを忘れ、政党は憲法第9条の改変に夢中になっています。国旗・国歌や教科書問題をめぐる各地の教育委員会の動きは「二十四の瞳」が描いた戦時教育の愚かさを早や忘れ果ててしまったようです。
 戦争で犠牲になった方たちは、こうした今の世相をどういう気持ちで見ているのでしょう。

 先日テレビで、広島への原爆投下を避けられる選択可能性がいくつかあったという内容のドキュメンタリーをやっていました。その無能さ、愚かさを責めることは容易です。しかし、それと同じ過ちをまた繰り返しつつあるとしたら。
 亡くなった方たちは浮かばれません。
 そういえば私が戦争というものの恐ろしさ、理不尽さを最初に意識したのも、小学生の時に、学校の図書室で、太平洋戦争の一連の戦史シリーズのあと、偶々手に取った「げんばくの話」という本によってでした。
 その直後、よくわからぬまでも憲法を読み、その前文の掲げる理想主義的な平和主義に惹かれました。それは、長じて憲法を改めて学んだあと、今も変わりません。(まぁ少年の頃から進歩がないと言えばそうなのかもしれませんが。)
 憲法9条は理想論だという人がいる。では、したり顔の現実主義は、今日、世界に一体何をもたらしたというのでしょう。


 さて、ともあれ今月は、戦争の犠牲者に思いを致し、平和を深く祈念すべきこの月にふさわしい1曲を取り上げたいと思います。
 この曲を、私は、ここ何年か、毎年8月15日頃に聴いています。

 その曲とは、ブリテンの「戦争レクイエム」作品66です。

 戦争レクイエムは、戦後書かれた音楽の中でも、最も深く、感動的な作品の一つだと思います。
 この曲は、直接には、1962年、英国はロンドンの北西150キロほど離れた、ウォーリックシャー州のコヴェントリー市のシンボル、聖ミカエル大聖堂再建の献堂式のために委嘱された作品でした。大聖堂は、1940年ドイツ軍の大空襲により破壊されてしまっていたのです。
 この献堂式という祝典用に、ブリテンは、レクイエム(死者のためのミサ曲)という、ある意味異例な作品を提出したのです。
 しかし、この曲は、先の大戦で亡くなった人々を悼み、そして戦争で敵対し交戦した国民同士の和解のためのミサ曲という性格を持ち、戦争で破壊された聖堂の再建を契機に、戦争を憎み、平和を希求するという目的を持っていたのです。

 ところで、レクイエムといえば、ブリテンには、シンフォニア・ダ・レクイエム(1940年)という作品があります。
 これは、当時の日本政府が内外の著名な作曲家に皇紀2600年祝典用として作品を委嘱した際、ブリテンが提出したもので、祝典曲にレクイエムとはと日本政府が受け取りを拒否したという曰く付きの作品です。こちらはレクイエムといっても声楽の入らない管弦楽曲です。


 閑話休題
 ベンジャミン・ブリテン(1913-76)は、20世紀の英国を代表する作曲家の一人で、12歳で作曲家フランク・ブリッジ(1879-1941)に師事し、16歳で王立音楽大学に入学、作曲家として活動を始めてからは、オペラをはじめとして管弦楽、声楽、室内楽など様々な分野に作品を残しています。
 ブリテンは、第2次大戦中、良心的兵役拒否者の申請をした人道主義的、平和主義的姿勢が知られていますが、テノール歌手ピーター・ピアーズとのホモセクシュアルな関係など一時世間の冷ややかな視線も浴びたものの、そうした経験からか、オペラ「ピーター・グライムズ」をはじめ社会的弱者に視線を注いだ作品を数多く手がけ、オールドバラ音楽祭の創設など、英国音楽界を代表する作曲家として認められていったのです。

 ブリテンの作風は、戦後世界の作曲界を風靡した前衛とは無縁で、その保守的とも言える音楽語法は、英国の音楽の進歩を何十年か遅らせたという評者もいるようですが、同じ時期の前衛音楽とブリテンの音楽のどちらが現在のレパートリーに残ったか歴史が証明しつつあるようです。
 ブリテンは、ソ連の作曲家ショスタコーヴィッチや、亡命チェリストロストロポーヴィチとの交友でも知られています。

 戦争レクイエムは、そうしたブリテンの声楽曲分野での大作です。

 私の、この作曲家との出会いは、中学の音楽教科書に載っていた「青少年のための管弦楽入門」(この曲も結構好きです)でしたが、その後、長らくその作品とは疎遠でした。(FMで、若書きのシンプル・シンフォニーとか、「春の交響曲」という名の声楽曲を聴いたくらいかな。英国の作曲家では、前回取り上げたヴォーン=ウィリアムズやエルガー、ディーリアスのほうが聴いていた。)
 そうしたブリテンの音楽で、初めて聴いた大曲が、戦争レクイエムだったのです。それは、偶然、CD化された作曲者自作自演盤が出るということを知り、ふと興味をそそられ、購入したのがきっかけでした。
 しかし、こうして偶々聴いた戦争レクイエムは、それまで私がこの作曲家に抱いていたイメージを変えさせるような深く重い真摯な作品でした。



 この曲「戦争レクイエム」は、レクイエム(死者のためのミサ曲)という名を持ち、実際ミサ典礼の固有文も用いられていますが、ミサ曲として教会での礼拝に使われるものではなく、ミサ典礼文と併せて、英国の詩人で、わずか25歳で第一次大戦に命を落としたウィルフレッド・オーウェン反戦的な詩を、その歌詞として用い、両者がほぼ交互に歌われるという斬新な構成を持っています。
(ちなみにミサの典礼文には、日常のミサ式のための通常文と特別の典礼用の固有文とがあり、レクイエムは後者となります。通常文のミサは、以前取り上げたベートーヴェンのミサ・ソレムニスなど。)
 そして、この二つの全く異なる歌詞-ラテン語のミサ典礼文と英語による詩-の交代、対照と共鳴が、非常に大きな効果を上げて、戦争による死への悲しみ、戦争の悲惨と理不尽さを強く訴えることに成功していると思うのです。
 ラテン語ミサ固有文の章は、ソプラノ独唱、児童合唱、混声合唱とフル・オーケストラで、オーウェンの詩による章は、テノールバリトンの独唱、室内楽的アンサンブルで、それぞれ演奏され、音響的にも明確な対比がつくられます。

 スコアの扉には、次のオーウェンの詩句が掲げられているということです。
" My subject is War, and the pity of War.
The Poetry is in the pity...
All a poet can do today is warn. "

 曲は、大きく6つの章から成り、それは、通常のレクイエムの構成に準じて、「レクイエム・エテルナム(永遠の安息を)」、「ディエス・イレ(怒りの日)」、「オッフェルトリウム(奉献誦)」、「サンクトゥス(聖なるかな)」、「アニュス・デイ(神の子羊)」、「リベラ・メ(われを解き放たせ給え)」となっています。
 各章はさらにいくつかの部分に分かれ、ミサ典礼の歌詞は各章に沿った詞が歌われるのですが、その間に交互に、オーウェンの詩による歌唱部分が挿入されていくのです。すなわち、ラテン語による部分(ソプラノと合唱、児童合唱)と英語の部分(テノールバリトン)が入れ替わり、歌われていくという構成になっているのです。

 全曲は80分余りかかり、きわめてシリアスな重い作品で、決して気楽に聴けるといった曲ではありませんが、最後のリベラ・メ章の魂を揺さぶるような味わいなど、ヴェルディのレクイエムなどより遙かに感銘深い音楽だと思います。


 まず、第1章「レクイエム・エテルナム」前半。低音楽器と鐘による地中から響いてくるような曲頭、合唱がつぶやくように「彼らに永遠の安息を与え給え」と歌っていく。中間部での児童合唱は天上からの声のよう。
 再び冒頭の音楽が戻ったかとおもううち、後半に入り、テンポを速め、テノール独唱が、「虫けらのごとく死んでいく人々を弔う鐘とは?」とオーウェンの詞を歌い始める。また荘重なキリエ(憐れみ給え)の合唱が聞こえてくると第1章は終わる。


 第2章「ディエス・イレ」は、最後の審判を告げるラッパよろしく金管群によるファンファーレで始まる。合唱が、初めは静かに、やがて力を増して「ディエス・イレ(この日こそは怒りの日)」と歌い出す。金管と打楽器が加わって、いかにも怒りの日にふさわしく強烈な響きをつくるが、長くは続かず、バリトン独唱が「夕暮れの大気をふるわせて悲しげに戦いのラッパが響き」とオーウェンの詞を歌う。
 替わって、ソプラノ独唱が甲高く宣告するかのように最後の審判の場面を歌い、合唱が和す。次いで、小太鼓が鳴り響き、テノールバリトンが「戦場で、我々は死に向かってごく親しげに歩み寄っていった」とアイロニカルな詩に相応しい陽気さで歌い出す。「彼は死と戦っているのだ。生のために、旗のために戦う奴は一人もいなかった」と。
 レコルダーレ・ピエ・イエス(思い給え、慈悲深きイエスよ)と歌う合唱は、やがて律動的な部分となり、バリトンの歌を経て、再びディエス・イレが戻ってきたあと、ソプラノ(と合唱)による「ラクリモーザ(涙の日)」が胸に突き刺さる。このあと、テノールによるオーウェン詩とラクリモーザが、映画のフラッシュ・バックのように頻繁に交代していく。そして、鐘の音に導かれ、合唱がイエスへの安息を求めるラテン詞句を歌い、アーメンの句でこの章を閉じる。