JBLでクラシックを聴く

ヤフーブログ終了で引っ越ししてきました。主にオーディオについてです。すでにオーディオ一式は断捨離で売り払ってしまいましたが、思い出のために引っ越しして残すことにしました。

今月のこの1曲(2005.9月)-ドビュッシー・ベルガマスク組曲 その2

 この組曲のCDは、現在、手元に6種ほどあります。
 2巻の前奏曲集などに素晴らしい演奏を残したミケランジェリにこの曲の録音がないのが少々残念ですが。


 まずは、ワルターギーゼキングの全集から。これはモノラル録音(EMI、ベルガマスク組曲は1953年)です。さすがに音質にはわずかに古さを感じますが。
ギーゼキングは、モーツァルトの大家としても知られていますが、このドビュッシーも昔から定評のあるものです。一聴早めのテンポで淡々とした弾き方で、はじめは素っ気ないような感じもしますが、聴いているうちに音の経年変化も忘れて引き込まれていきます。「月の光」では、深々とした表現にモノラルであることすら忘れてしまいます。珠を転がすような高音も十分美しい。


 次に、サンソン・フランソワの演奏(1968年、EMI)。
 フランソワは天才肌というか、反面かなりムラ気もあるピアニストという印象がありますが、ここでも一見きわめて自由奔放な感覚的な演奏でありながら、決して恣意的に感じさせない、曲に対する独特の感性を伺わせます。
 いわゆるフランスのエスプリというのか、この言葉よくわからないものの、そうした比喩を持ち出したくなるような、フランス近代音楽らしい雰囲気、緩急の呼吸が見事な演奏というのでしょうか。終曲など、颯爽と風が吹き抜けていくようです。


 パリ生まれの女流ピアニスト、モニク・アースによる演奏(1971年頃、ERATO)は、フランスのエスプリを感じさせるにしても、ずっと柔らかい感じがします。しかし、フランスを代表するエラートレーベルでドビュッシーの全集をまかされ、長くその規範とされた演奏だけあって、上品で端正な仕上がりとなっています。
全体にゆったりした演奏で、特に「月の光」の静かにたゆたうような雰囲気は得もいわれない趣があります。
録音も十分水準以上ですが、ただ、曲により、ペダルの音でも拾っているのか、時折ドン、ドンというような音が背後に聞こえることがあります。


 次に、ミッシェル・ベロフのアナログ時代最後の旧盤(1980年、EMI)。
 こちらはフランソワに比べるとずっと楷書的。しかし決して堅苦しい窮屈な感じではなく、むしろ構成感がありながらかなりピアノを豊かに鳴らした演奏です。 ドビュッシーのピアニズムが、決して、印象主義というイメージの下、曖昧模糊として雰囲気的なもの、あるいは痩せた神経質なものではなく、豊かな響きを持っていることを伝えてくれるようです。(ベロフは、私が実演で聴くことのできた数多いとは言えない著名なピアニストの一人です。そのときはメシアンを弾いてくれました。)


 それから、ジャック・ルヴィエによる全集録音(1985年、DENON)から。
 ルヴィエのは、ベロフよりもさらに楷書的と言ったらよいのかリズムや強弱がはっきりした明快な演奏と言えましょうか。特にリズムの処理が見事で、メリハリ感と流麗な演奏にその際だった独特のリズム感覚を感じさせます。
 舞曲部分のリズムとアクセントをはっきり鳴らした演奏に対して、「月の光」でのしっとりした感じがまた美しい。録音も非常によい。いまなら、国内盤BOXが廉価で手に入ります。


 最後に、アルド・チッコリーニの全集新録音盤(1991年、EMI)。
 上の三者は、生粋のフランス人ピアニストによるものなのに対して、チッコリーニは、長らくフランスで活動してはいますが、イタリア人ピアニストです。しかし彼は、むしろフランス人以上のサティ弾きとして知られているくらいで、ドビュッシーとの相性も悪くはありません。(ミケランジェリもイタリア人でした。)
 全体に遅めのテンポで、すべての音符を紡ぐように弾いています。録音も90年代と新しいのに、フランスEMIの輸入盤BOXは超廉価です。


 さて、今回は、「月の光」にちなんで、ベルガマスク組曲を取り上げてみました。
 秋の夜、遠くに虫の音を聞きながら、ドビュッシーピアノ曲はいかがでしょうか。



今回もおつきあいいただき、ありがとうございました。
ではまた。


                             恐々謹言

                    樹公庵 日々