JBLでクラシックを聴く

ヤフーブログ終了で引っ越ししてきました。主にオーディオについてです。すでにオーディオ一式は断捨離で売り払ってしまいましたが、思い出のために引っ越しして残すことにしました。

今月のこの1曲(2006.8月)-ホルスト・組曲「惑星」 その1

みなさま

 処暑も過ぎ、いくぶん朝晩は過ごしやすくなってきたかなとはいうものの、やはり毎日蒸し暑い日が続いていますが、いかがお過ごしでしょうか。
 昼間は相変わらず蝉たちが最後の夏を惜しむかのように鳴いていますが、夕暮れともなると蟋蟀が秋の音を聞かせてくれるようになりました。自然の季節はようやく暦に追いつこうとしているかのようです。

 8月も残り少なくなって、先週はまた、雷様が続けて来駕された週でもありました。こちらでは夜半に雷雨ということもありました。雨雲が去ったあとは、夜空の星がきれいな気がします。


 さて、星空と言えば、やはり先週、天文学界の国際的機構である国際天文学連合(IAU)が、プラハで総会を開きました。今年の総会では、新しい惑星の定義について協議が行われ、太陽系の惑星の数をめぐる見直しが注目を集め、新聞報道で関心を持たれた方も多いかと思います。
 初めは、近年発見著しい小天体の中から新たな惑星が追加され、太陽系の惑星は12個になりそうだと伝えられていたのですが、一転、最終的には、冥王星が惑星から外され、矮惑星とされることになって、惑星は従来の9個から8個に減るという結果となりました。
 新聞も各紙がこの経過や混乱ぶりを報道し、新定義が採決されるや、「冥王星格下げ」などといった見出しが紙面をにぎわせました。

 冥王星は、20世紀に入った1930年に発見され、最も新しい惑星となったわけですが、21世紀に入って間もなく惑星から外されることになってしまったわけです。
 地球以外の惑星としては、古くは肉眼で見ることのできた水星、金星、火星、木星土星の5つとされていたところ、望遠鏡による天体観測が進み、18世紀に天王星が、続いて力学的な計算上の天王星の軌道のずれから、19世紀に海王星が発見されました。これら太陽系惑星が、天体としての直径、質量、密度の比較により、水星から火星まで(地球型惑星と呼ばれる)と木星から海王星まで(木星型惑星と呼ばれる)の2グループに分けられているのは周知のとおりです。

 これに対して、冥王星は、直径、質量、密度ともに他と比べて極端に小さく、上記のどちらのグループにも当てはまらない。公転軌道面もずれているなど、もともと冥王星については他の惑星と異なる点が多く、その惑星としての位置づけには議論もあったようですので、今回の結果も天文学者の間ではそれほど意外なことではなく、長年の論争が落ち着いたということのようです。大騒ぎしたのは一般紙などのマスコミだけだったのかもしれません。たしかに教科書の書き換えなど、その影響は結構あるようですが。
 もっとも、冥王星を外すことは大方の支持を得たものの、肝心の「惑星」の新定義のほうはあまり評判が良くないとのことで、また遠からず見直しがあるかもとの見方もあるようです。


 そうした冥王星問題をめぐる報道の中で、クラシック畑のある音楽作品がしばしば言及されていました。お気づきだったでしょうか。
 それは、ホルストという英国の作曲家による組曲「惑星」です。

 この曲、実際どのくらいポピュラーで、一般の音楽ファンにどれほど親しまれているのかわかりませんが、今回の惑星数騒ぎでは格好の話題を提供してくれるものであることも事実です。
 と言うのは、この組曲は、7曲から構成されていて、各曲は地球を除く水星から海王星までの7つの惑星に充てられているのですが、曲が作られたとき、まだ冥王星は発見されておらず、そのために冥王星の名を冠した曲はなく海王星で終わっているからなのです。
 しかも、20世紀の終わりに、コリン・マシューズ(1946-)という英国人作曲家が、指揮者のケント・ナガノとハレ管弦楽団の依頼により、新たに「冥王星」の曲を作曲したばかりで、この曲を付加した「惑星」のCDも出回り始めていたというおまけまで付いているのですから。(さて、こちらの冥王星の運命やいかに?)



 グスターヴ・ホルスト(1874-1934)は、以前取り上げたヴォーン=ウィリアムズの2歳下で、互いに親交があり、同じ時期に民謡採譜活動などを行って近代英国音楽の興隆期に寄与した作曲家です。
 ミリタリー・バンドのための組曲という作品があって、多少吹奏楽をやっていた人には知られているのかもしれませんが。そのほかの作品は、いかにも英国人作曲家らしい、そして特に控えめな人だったホルストの、節度ある(地味な)作風のため、イギリス以外ではポピュラリティを得ているとは考えにくいのですが、まさに突然変異のようにこの組曲「惑星」が生み出されたのです。
 そして、この曲は、英国音楽史上最大のヒット作とまで言われる作品となったのです。(ビートルズなどのポピュラー・ミュージックは除いています。あしからず。)

 実際、ホルストの作品中、これほど大規模なオーケストラのための音楽を書いたのも、全曲で50分にも及ぶ管弦楽作品も、この他には見当たらないくらいなのです。
 なにより作曲者自身が、この曲の人気に当惑していたというのです。(「惑星」のスコアへのコリン・マシューズによる序文には、娘イモージェンの「父は人気作曲家には不似合いだった」という言葉や、同様な作品を望む聴衆のために、本来の彼らしい他の作品が十分な評価を得られなかったという悲喜劇が紹介されている。)この作品が、ホルストの名を不朽にした最大の成功作であることは確かですが、では、これがホルストの作風の代表作かということとは別のようです。

 ホルストという人は、作曲家として世に出るまではトロンボーンを吹いていて、また作曲家としても、教職の傍ら創作活動を行うといういわば日曜作曲家のような存在であったようです。
 そのため、作品数もさほど多くはなく、「セントポール組曲」、「エグドン・ヒース」などの佳曲はあるものの、今日コンサートなどのプログラムを飾る知られた作品というのは、少なくとも本国イギリス以外では、「惑星」だけだと言ってもよい状況です。


 では、その組曲「惑星」はと言うと、さすがに20世紀初頭の作品で、昔ながらのいわゆる泰西名曲のようなわけにはいきませんが、しかし、近代の、しかも他ならぬ英国音楽としては、空前の成功作と呼んでも過言ではないと思います。

 エルガーやヴォーン=ウィリアムズの交響曲、ディーリアスやブリテン管弦楽・声楽作品なども、これまでそのいくつかを紹介してきたように、聴いてみると結構良い曲なのですが、どうしてもブラームスチャイコフスキーマーラーなどのように普遍的な人気を得て、コンサートのメインを常に占めるというのは難しい英国音楽のイメージがあります。しかし、このホルストの「惑星」は、なかなかどうしてコンサート・ピースとして十分通用する魅力があると思えるのです。

 ホルスト自身は、現代のスペース・オペラ風の宇宙を舞台にした音楽を書こうという意図はなく、後に触れるように占星術的なイメージからの惑星を取り上げているだけなのです。が、R.シュトラウスばりの特大編成オーケストラを用い、しかもその音楽が、旋律や変化に富み、難解な現代音楽的手法は用いずに斬新な響きを生み出していること、現代人の宇宙への憧れや関心と合致したことなどが、今日の人気をもたらしたと考えられます。


 私自身は、この組曲を意識して聴いたのは、比較的あとになってから、たぶんCD時代になってからなのですが、実は、このうちの「木星」だけは、早くも中学生のときに聴いたことがあるのです。
 それは、まだ音楽を聴き始めたばかりの頃。私はモーツァルトのジュピター交響曲というのを聴いてみたいと思っていました。すると、友人の阿部くん(シューベルトの「未完成」交響曲の稿でも登場)が、家にその曲のレコードがあると言うのです。早速遊びに行って、ステレオの試聴用として付いてきたという件のレコードをかけてみたのです。スピーカからは弦のさざ波がだんだん強く大きくなっていき、金管が堂々とした旋律を吹き鳴らす音楽が流れてきました。
 なるほど、これが有名なジュピター交響曲かと、しばし二人で耳を傾けていたのですが、ところが第1楽章だけで終わってしまったのです。おかしいなぁと思って盤面を見るとびっくり。確かに「ジュピター」とは書いてあるのですが、作曲者はモーツァルトではなく全然知らない名前だったのです。ジュピターってローマ神話の神様の名前だけど、木星のことだったんですね。クラシック聴き始めの頃のお粗末ながらも懐かしい思い出です。