JBLでクラシックを聴く

ヤフーブログ終了で引っ越ししてきました。主にオーディオについてです。すでにオーディオ一式は断捨離で売り払ってしまいましたが、思い出のために引っ越しして残すことにしました。

今月のこの1曲(2005.6月)メンデルスゾーン「真夏の夜の夢」 その2

 さて、それはともかく、「真夏の夜の夢」の音楽です。
 この曲には、二つの作品番号が付いています。序曲には作品21、それ以外のナンバーには作品61となっています。これにはわけがあります。
 実は、「真夏の夜の夢」序曲は、1826年、メンデルスゾーンが17歳の時に、シェイクスピアの戯曲を読み、これに感動して作ったもの。その他の曲は、その17年後1843年に、プロイセン国王フリードリッヒ・ヴィルヘルム4世の命で付随音楽全曲が作曲され、序曲はその際にもそのまま転用されたという経緯があるのです。
 しかし、全体を聴くと、序曲とその後に作曲された他の曲との間には、まったく断絶や違和感はなく、あたかも一緒に作曲されたかようにできているのはさすがです。
 これは、序曲中で用いられた旋律や動機が上手に他の曲、特にフィナーレ近くの楽曲に有効に用いられ、ロマン派の交響曲で第1楽章の主題が循環的に現れ、最終楽章で再現するような効果をもたらしているからだとも言えます。
 それにしても、17歳で単独の序曲として作曲したときにすでに劇中音楽で十分に活用できる素材が盛り込まれていて、それをいかにも無理なく17年後の作曲に生かしていく手腕は最高だと思います。

 この音楽には、安定した形式感のある楽曲構成に、美しい旋律がふんだんに使われ、ほのかにロマン的な情趣に充ち満ちている、と同時に19世紀初頭に斬新で見事な管弦楽法が駆使されています。
 この「真夏の夜の夢」序曲における木管楽器などの用法は斬新かつ個性的で、まことに見事だと言うほかありません。
 先月取り上げたシューベルトの未完成交響曲(1822年作曲)で、突如として現れた斬新で魅力的な管楽器の用法を指摘しましたが、この序曲は、それからわずか4年。しかも弱冠17歳の作曲者は、もとより未完成交響曲の存在は知らないのです。この少し後にやはり突如現れるベルリオーズ幻想交響曲(今月のこの1曲2003.12月参照)もそうですが、こうした天才たちが時を同じくして次々と登場してくるこの時代というのは壮観です。


 こうして歳月を超えて作曲されたメンデルスゾーンの劇付随音楽「真夏夜の夢」は、序曲と12曲の劇中音楽から成っています。従って、全体では13曲ということになりますが、後述するように全曲が取り上げられることは少なく、CDなどではトラックの数え方もまちまちなので、お手元のCDがこのとおりとなっているとは限らないので、あらかじめ。

 序曲作品21は、先に述べたとおり、シェイクスピアの「真夏の夜の夢」独語訳を読んで、17歳のメンデルスゾーンが一気に書き上げたものですが、もともとが特定の劇の上演用に作られたものではなく、独立した楽曲であったため、12~13分前後かかる、かなり大きな、ソナタ形式による充実した序曲となっています。編成は、当時の標準の2管編成にオフィクレイド(今日ではチューバで代用)が入っているのが特徴です。ともあれ、非常に完成度の高い曲で、これが17歳の手による作品とは驚きです。

 まず、フルートなど木管による夢の始まりのような静かな導入に続いて、すぐにヴァイオリン群の無窮動なさざめきに木管やピッチカートが彩りを添え、パックをはじめとする妖精たちが飛び回るような第1主題が初めはひそやかにしかし速いテンポで示されます。オーケストラが高まって力強いトゥッティ(総奏)での主題確保を経て、第2主題は木管に先導され弦楽器で奏されるよりなだらかな感じの旋律。そのあと、のちにベルガマスク舞曲として劇の終わり近くに登場する旋律が高らかに現れて提示部を閉じます。
 展開部は、無窮動的な第1主題を中心に、時折低音管楽器(オフィクレイド)が合いの手を入れながら展開されていきます。と、速度を落として消えるようになって終わってしまうのではと思わせると、再び冒頭の木管による導入部が再現し、再現部へと入ります。第1主題には低音管楽器が人を驚かす妖精がうなり声をあげているかのような対位句をつけます。
 再現部は短く圧縮され、そのまま長いコーダ(終結部)となり、最後はみたび静かになって、冒頭の木管の楽句が夢の終わりを告げるように消えてゆきます。

 この素晴らしい序曲だけで十分という方も多いかもしれませんが、これに続く作品61の劇音楽は、1.スケルツォ、2.情景と妖精たちの行進、3.「まだら模様のお蛇さん」、4.情景、5.間奏曲、6.情景、7.夜想曲、8.情景、9.結婚行進曲、10.情景と葬送行進曲、11.ベルガマスク舞曲(道化役者たちの踊り)、12.情景とフィナーレとなっています。

 こちらには、序曲の編成にトランペットが1本増え、トロンボーン3とシンバル、トライアングルが加えられています。また第3曲と第12曲にはソプラノ独唱2人(又はソプラノとメゾソプラノ)と女声合唱が加わります。
 歌詞については、作曲の経緯から見て、ドイツ語訳詞が本来なのでしょうが、シェイクスピア原作の英語歌詞による演奏でも少しも違和感がないのは、ドイツ人でありながらイギリスで人気のあったメンデルスゾーンらしく、さすがです。(イギリス人の中には、メンデルスゾーンを、ヘンデル同様自国の作曲家と思っている人もあるらしい。)

 実際には、この全曲が演奏されることは滅多になく、CDでも、完全全曲盤というのはあまりお目にかかれないようである。このうち、4、6、8曲目の各情景は最も取り上げられることが少なく、声楽付きの先の2曲も独唱者や合唱団を用いなければならないので、予算の都合もあってカットされることが多いようです。
 特に有名なのは何といっても結婚行進曲ですが、このほか、スケルツォ、間奏曲と夜想曲といったあたりがポピュラーな音楽と言えましょう。

 第1曲「スケルツォ」は、木管楽器のこれまた美しい用法の楽しく弾むような旋律で始まります。あくまでも軽やかで濁りのない、いかにもメンデルスゾーンらしい音楽ですが、思いの外に推進力にも満ちたその音楽は、後年のブルックナーなどのスケルツォをも想起させてくれるような気がします。

 次の第2曲「情景と妖精の行進」(丘を越え、谷を越え)は、第2幕第1場でパックとティタニアに仕える妖精が出会う場面の音楽。スケルツォの断片を受けて始まり、短いがいかにも妖精たちの登場にふさわしい音楽。最後はこのあと諍い中のオベロンとティタニアの遭遇を象徴する緊張感を漂わせて終わる。

 第3曲は、第2場で妖精の女王ティタニアが眠りにつく際に、妖精たちが、まだら模様の蛇や針鼠、虫たちに、女王様に近づくなと歌う子守歌。第1の妖精と第2の妖精をそれぞれ二人のソプラノ独唱が、妖精たちの歌を女声合唱が歌う。
 ここは、まるでモーツァルトのオペラの一節たとえば「魔笛」の三人の侍女たちの歌などを思わせる非常に声楽的で美しい佳曲で、声楽曲も得意としていたメンデルスゾーンらしさを味わえます。

 第4曲の「情景」は、その直後、オベロンが眠っているティタニアの目蓋に魔法の花の露を絞りつける場面にふさわしく神秘的な響きで始まる非常に短い音楽。

 第5曲「間奏曲」は、森の中ではぐれた恋人ライサンダーを捜す娘ハーミアの嘆きを表す不安な音楽に始まり、後半は一転して、芝居(劇中劇)の稽古に森にやってきた陽気で間抜けな職人たちの明るい行進の音楽となる。

 第6曲の「情景」は、パックの蒔いた魔法のかけ間違いやいたずらから、第3幕で起こる、二組の恋人たちの行き違いやボトムら職人たちが巻き込まれる不思議な騒動を描いていると思われる。ひそやかながら、次々と変化する比較的長い音楽。音楽的にはとりとめがないが、様々な楽器の組み合わせにより音響的には斬新な面も感じさせる。

 続く第7曲は「夜想曲」。シューベルトの「ザ・グレート」やウェーバーの「魔弾の射手」が扉を開いたと同じく、いかにもロマン的なホルンの響きで始まる。第3幕の終わりで恋人たちが魔法のせいで引き起こされた諍いに疲れて眠りに落ちる場面の音楽。序曲に次いで長い。いかにも叙情的で雰囲気に富み、シューマンはもとよりジークフリート牧歌などワーグナーの後期の音楽まで視野に入りそうな、この劇音楽の中でも、結婚行進曲と並ぶ最もすぐれた音楽だと思います。

 第8曲の「情景」で、魔法から醒めたティタニアや恋人たちが目覚める場面。
前曲の旋律を再現し、序曲の第1主題の変形した旋律も出てくる。婚礼の祝典の始まりを告げるかのようなファンファーレで終わる。

 次の第9曲が「結婚行進曲」で、言わずと知れた超有名曲。輝かしい金管群にシンバルやトライアングルも加えた豪華絢爛な響きは、まさに祝典音楽にぴったり。現実の結婚式でも人気があるのもむべなるかなである。冒頭のファンファーレ音型「パパパパ、パー」はベートーヴェンの第5交響曲の冒頭動機にも似ているでしょ。マーラーの第5交響曲冒頭(葬送行進曲)のトランペットのファンファーレはこのパロディではという説もある。
 中間部の流麗で優雅な旋律もまた美しい。

 第10曲は、「ファンファーレと葬送行進曲」とも表記され、明るいファンファーレで始まったかと思うと、すぐに葬送の音楽となる。
 婚礼に葬送音楽とは不吉だが、実はこれ、第5幕で婚礼の場で、職人たちによりお祝いの余興として演じられる劇中劇(悲劇のはずがとんちんかんな展開となる)のためのもの。そのせいか、しめやかなはずの葬送行進曲がなにやらおかしい。このパロディックな葬送行進曲、どことなくあのマーラーの第1交響曲の第3楽章を思い出させるのですが。

 次の第11曲「道化役者たちの踊り」は、17年前の序曲のコデッタ(小結尾部)主題を基にした舞曲。これも、職人たちの芝居が散々に終わったあと、口上の代わりに踊るもの。

 終曲では、このあと、結婚行進曲が再び聞こえてきて消えていく(この部分は省略されることが多い)と、まず、序曲第1主題に乗って、合唱が妖精たちの歌を歌い出す。(実は、この歌詞、本来は第5幕の終わりでオベロンとティタニアの間で交わされる台詞なのだが、ここでは妖精たちの歌ということになっている。)
 ソプラノ独唱も加わって盛り上がったあと、静かになって歌い納めると、あの木管の調べ(序曲冒頭)が帰ってきて円環を閉じるように、この戯曲が何やら幸せな気持ちにさせて幕を閉じるとおり、一場の夢が消えるように静かに余韻を残して終わる。