JBLでクラシックを聴く

ヤフーブログ終了で引っ越ししてきました。主にオーディオについてです。すでにオーディオ一式は断捨離で売り払ってしまいましたが、思い出のために引っ越しして残すことにしました。

今月のこの1曲(2004.1月)モーツァルト・交響曲第38番 その3

 もうひとつ、お薦めは、P.マーク指揮パドヴァ管による演奏です。
 これは、メンデルスゾーンなどとともに、先年亡くなったマークが晩年に残した録音の一つですが、それほど実力のあるオーケストラとも思えぬイタリアのパドヴァ管を振って、非常に美しく、透明感のあるモーツァルトを聴かせて、近年のCDでは出色だと思います。
 こういう演奏家は、市場ではメジャーにならないのですねえ。


 こうした伝統的な解釈、演奏に対して、ここ10年余りの間にめざましく進展した音楽学の成果を踏まえ、すっかり定着し主流ともなった、ピリオド楽器による演奏もしくはピリオド系の解釈を取り入れた演奏、録音があります。

 その泰斗とも言うべきアーノンクールは、意外なことにモーツァルト交響曲は、モダン・オケと録音しています。
 アムステルダム・コンセルトヘボウとの演奏、ヨーロッパ室内管との演奏です。
ただ、そこはアーノンクール。相手がモダン・オケでも伝統に安住しない大胆で個性的な演奏を聴かせてくれます。
 慣れないうちはアクセントがきつく、かなりエキセントリックな感じもしますが、決して奇をてらっているのではなく、真摯に自分の考える音楽を貫いているという感じがします。


 正真正銘のピリオド・オケをピリオド系指揮者が振ったものとしては、ガーディナーとイングリッシュ・バロック・ソロイスツによる演奏があります。
 ガーディナーも、アーノンクールと同様、古楽オケだけでなく、モダン・オケや由緒あるオペラ・ピットにもしばしば招聘されるピリオド系出身の指揮者で、私の好きな一人です。

 ブリュッヘン/18世紀オーケストラというのもあります。

 しかし、聴いてみると、たしかに管楽器、特に金管ティンパニの音などに、現代楽器よりストレートな響きが感じられ、弦もおそらくビブラートをかけないなどの奏法から来る違いはあるのですが、意外に、その解釈はオーソドックスというか、あまり違和感はないという感想を持っています。
 ブリュッヘンの最後の終わり方など歌舞伎の見得みたい。楽器は古典派時代の様式のコピー楽器などを使いながら、演奏としては、むしろワルターベームなどより現代的な解釈なのではないかと思います。古楽派といえども、まあ現代の世代の指揮者や奏者達なのですから当然といえば当然なのですが。

 こうした世代の演奏では、スコアの指示どおり、反復も完全に実施するのが普通で、モーツァルト交響曲も軒並みトータルの演奏時間が長くなります。
 「プラハ」は、ワルターやシューリヒトでは、24分前後ですが、これら現代の古楽(変な言い方ですが)演奏では、38分くらいになります。(ジュピターあたりでは40分を超える例もあります。)

 ソナタ形式の楽譜に付いているこうした反復記号は、指示どおり実行すべきか否か、よくわかりませんが、少なくとも、この曲の場合、第2楽章の提示部反復(58小節目)は、完全な繰り返しでなく、1回目(58a小節)と2回目(反復時、58b小節)とで書き分けているので、19世紀以来の演奏慣習と異なり、作者は反復することを当然としていたと思われるのですが。


 同じ古楽系でも、ピノック/イングリッシュ・コンサートは、ガーディナーらと違い、バロック中心でベートーヴェン以降ロマン派は見向きもせず、モーツァルトの後期交響曲でも、通奏低音的にハープシコードを入れています。
 これは初期交響曲はともかく後期作品になるとやや耳障りに感ずるときもありますが、演奏全体はさわやかで、とても聴きやすいものです。
 古楽系では、ほかにリンデン/アムステルダムモーツァルト・アカデミーの全集がありますが、「プラハ」は未聴です。


 ハープシコードといえば、オーケストラは、現代楽器オケですが、マッケラス/プラハ室内管盤にも、入っています。
 しかしながら、演奏は、テンポも速くきびきびしていて、推進力を感じさせるものです。


 比較的小編成の現代オケによる演奏では、ほかに、テイト/イギリス室内管とグラーフ/ザルツブルク・モーツァルテウムによるものを持っています。
 特に後者は、派手さはありませんが、新モーツァルト全集版スコアに基づくしっかりした、淀みのない演奏だと思います。


 手持ちのCDをざっと挙げてみましたが、このほか、まだ持っておらず、未聴のため、紹介はできませんでしたが、期待できるものとして、モダン・オケなら、クレンペラー盤とクリップス盤、ピリオド系では、ホグウッド盤などがあります。
 これらはいずれ入手したいと思っています。
 残念ながら、セルは「プラハ」は残していないようです。



 公私ともにいろいろあって、しばらく、メールも遠ざかっていて、久しぶりに、しかも格別に好きなモーツァルトとあって、つい、長々とひとりよがりの駄文を連ねてしまいました。
 ここまで、読んでいただいたことに、心からお礼申します。


 申年になったばかりというのに、世間では鳥のウィルスが大流行のようです。
コンピュータのウィルスも困りますが、やっぱり生命に関わるのはもっと困りますよね。

 寒中、お風邪などひきませぬよう。
 ではまた。


               樹公庵 日々     敬白 





《補遺》
 その後、ホグウッド盤の全集は入手できました。あまりに曲数が多くて、まだ聴き込めていませんが。
 また、ジェーン・グローヴァーという女性指揮者とロンドン・モーツァルト・プレイヤーによる第25番以降を入れたCDは、なかなか出色です。
 あと、クレンペラーモーツァルトや廃盤扱いのクリップスの録音が、まとまった形で出ないものかしら。