今月のこの1曲(2004.1月)モーツァルト・交響曲第38番 その2
プラハ交響曲は、さきほど触れた深遠なアダージョの序奏で第1楽章が始まります。
トゥッティによる主和音がフォルテで鳴らされたと思うとすぐピアノとなり、またフォルテの三連符を伴った短い上昇音型が繰り返され、という具合に強音と弱音とが頻繁に交代しながら、半音階的に長短の調性の間を行き来しながら進んでいきます。
強音のトゥッティと弱音の弦のみあるいは木管のみの部分の対象が鮮やかです。
この序奏なくして、後にベートーヴェンが第4、第7交響曲に用いた手探りで進むような導入部は生まれなかったのではないかしら。
この異様な緊張感を持った序奏は、このあとプラハからの依頼で書かれることになる歌劇「ドン・ジョバンニ」の音調を思い起こさせます。
序奏がピアニシモで、属和音上に半終始すると、ピアノで、第1ヴァイオリンのみが単純な同音反復の、しかしシンコペーションのリズムで、第1主題を奏し始めて、主部アレグロに入ります。
この主題は、単調なようで、それでいて変化を予感させ、なにかわくわくするような、とても不思議な感じのするものです。1小節遅れて他の弦楽器が対旋律を奏し、弦の旋律が一段落するとすぐ今度はフォルテでティンパニを伴った管楽器が付点付きの素早く上昇下降する合いの手のような主題後半の動機を出し、またピアノで第1ヴァイオリンのシンコペート主題。
十分力をためながら、やがて走り出す。「フィガロの結婚」と同時期の作らしいオペラ・ブッファ的な性格も持っています。
ふっと一瞬力を抜いたようになって、弦だけになって柔らかな第2主題が提示されますが、すぐにこれは半音階的に転調されていきます。
そのあとはもう一気に走り出します。第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンがカノン風に回転するような音型を交互に繰り返し、疾走感を高めていきます。
展開部では、さらに見事な対位法による主題動機の発展が待ち受けています。
第1主題が帰ってきて、一瞬再現部かと思わせるが、フェイントをかけ、改めて第1主題が主調で戻ってきて本当の再現部という趣向も。
最後は息もつかせぬという感じで突っ走りながら、四分音符3つの主和音をぶつけるようにしてけれんみなくこの楽章を閉じます。
トゥッティによる主和音がフォルテで鳴らされたと思うとすぐピアノとなり、またフォルテの三連符を伴った短い上昇音型が繰り返され、という具合に強音と弱音とが頻繁に交代しながら、半音階的に長短の調性の間を行き来しながら進んでいきます。
強音のトゥッティと弱音の弦のみあるいは木管のみの部分の対象が鮮やかです。
この序奏なくして、後にベートーヴェンが第4、第7交響曲に用いた手探りで進むような導入部は生まれなかったのではないかしら。
この異様な緊張感を持った序奏は、このあとプラハからの依頼で書かれることになる歌劇「ドン・ジョバンニ」の音調を思い起こさせます。
この主題は、単調なようで、それでいて変化を予感させ、なにかわくわくするような、とても不思議な感じのするものです。1小節遅れて他の弦楽器が対旋律を奏し、弦の旋律が一段落するとすぐ今度はフォルテでティンパニを伴った管楽器が付点付きの素早く上昇下降する合いの手のような主題後半の動機を出し、またピアノで第1ヴァイオリンのシンコペート主題。
十分力をためながら、やがて走り出す。「フィガロの結婚」と同時期の作らしいオペラ・ブッファ的な性格も持っています。
そのあとはもう一気に走り出します。第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンがカノン風に回転するような音型を交互に繰り返し、疾走感を高めていきます。
展開部では、さらに見事な対位法による主題動機の発展が待ち受けています。
第1主題が帰ってきて、一瞬再現部かと思わせるが、フェイントをかけ、改めて第1主題が主調で戻ってきて本当の再現部という趣向も。
最後は息もつかせぬという感じで突っ走りながら、四分音符3つの主和音をぶつけるようにしてけれんみなくこの楽章を閉じます。
ここでも、おだやかな旋律が途中で短調の翳りを帯び、従来の古典派交響曲の第2楽章に多い、ただやさしい息抜き、くつろぎとしての緩徐楽章であるだけではなく、より深遠な、ベートーヴェンからロマン派のアダージョ楽章につながっていくような予感すら感じさせます。
バロック期以来の従来型の管弦楽法では低弦と重ねられることの多いファゴットも、モーツァルトの新しい楽器書法では独立した動きを聴かせてくれます。
展開部での次々と転調しながら主題動機が対位的に重ね合わされていく様子も見事としか言いようがありません。まさに一気呵成という感じでコーダまで突っ走っていくのです。
39番から41番「ジュピター」に匹敵する内容を持ち、かつその最初の現れと言うべきこの曲は、むしろ演奏も難しいと言われていますが、見事に演奏されたときの効果、高揚感は格別です。
ただ、フルトヴェングラーのこの曲の録音は知られておらず、(トスカニーニはあるらしいが一般的ではない)ロマン派時代に好まれ、盛んに演奏された第40番ト短調などと異なり、この曲の録音史はむしろ比較的新しいのかもしれません。
主部もあまり急がず、といって決してもたもたした感じは与えず、インテンポで雄大に響かせてくれます。
第2楽章は、歌の人ワルターらしく、アンダンテというよりはアダ-ジョのような、ゆったりとした歌を聴かせています。
昨今のピリオド系の新解釈からすれば時代を感じさせる面もあるかもしれませんが、終楽章も爽快でありながらたっぷりとオーケストラを鳴らした、交響楽らしい演奏です。
もっとも、この曲に限らず、ワルターのモーツァルトは、当時としてはフルトヴェングラーなどの浪漫的な解釈とも、トスカニーニらのザッハリッヒカイトな演奏とも一線を画す、古典的なフォルムと歌心との独自のバランスを持ったものなので、いま聴いても少しも時代遅れという感じはしません。
シューリヒト指揮パリ・オペラ座管による演奏は、序奏などワルターよりかなりテンポが速いという感じを受けますが、全体の演奏時間はあまり変わりません。
次のベームあたりを含め、これらの世代は、基本的にスコアの反復指示を実行しないので、モーツァルトの交響曲で30分を超えるということはあまりないのです。
シューリヒトの第3楽章は、ほんとに速い。これぞプレストという感じです。巨匠時代の人には珍しい。もっともトスカニーニも快速を好んだようですが。
パリのオペラ座管弦楽団というのはムラがあって録音評では余り芳しくないのですが、さすがにシューリヒトは存分に駆使しているというところでしょうか。ただ、このオケ、シューリヒトをもってしても一糸乱れず、というわけにはいかなかったようです。
ベームは、若いときと晩年にヴィーン・フィルと入れたものもありますが、この曲の演奏では、ベルリン・フィルとの全集盤のほうが評価はよいようです。
ベームは、若いときに、ミュンヘンあたりでワルターの指導を受けたことがあるらしく、モーツァルトは悪くないと思います。ワルターやE.クライバーのようなチャーミングさというのはありませんが。
とても生真面目な楷書のような演奏といったらよいでしょうか。
ベームという人は、晩年、日本ではものすごく人気が高かったのですが、没後、すっかり忘れられたようになってしまいました。
モーツァルトとR.シュトラウスのオペラを得意として、本質的にカペルマイスターなのでしょう。本人はドクトールであることを異常に誇りにしていたそうですが.....。
スイトナー/ドレスデン・シュターツカペレも、オーソドックスな演奏です。無難で面白味がないという見方もあり得ますが、今日、モーツァルトらしさを失わずにかつ安定感のあるモダン楽器での演奏というのが少なくなっているという面からは、古き良き時代の名残といえなくもないかなと思います。
むしろモーツァルトらしい歌と愉悦にも不足せず、安心感もありながら、パッションもある、という意味では、やはりクーベリックを推すべきでしょうか。
クーベリックは長年の手兵バイエルン放送交響楽団とのスタジオ録音の定盤がありますが、ここでは、最晩年に故国のチェコ・フィルハーモニーとライブで残した録音を挙げます。
堂々とした押し出しもあり、近年主流の小編成のオケによるものとは異なるフルオーケストラによるモーツァルトのシンフォニーを聴く醍醐味があります。クーベリックはライブで燃えるタイプとも言われ、ライブ録音の多少の傷も気になりません。
昨今のピリオド系の新解釈からすれば時代を感じさせる面もあるかもしれませんが、終楽章も爽快でありながらたっぷりとオーケストラを鳴らした、交響楽らしい演奏です。
次のベームあたりを含め、これらの世代は、基本的にスコアの反復指示を実行しないので、モーツァルトの交響曲で30分を超えるということはあまりないのです。
シューリヒトの第3楽章は、ほんとに速い。これぞプレストという感じです。巨匠時代の人には珍しい。もっともトスカニーニも快速を好んだようですが。
パリのオペラ座管弦楽団というのはムラがあって録音評では余り芳しくないのですが、さすがにシューリヒトは存分に駆使しているというところでしょうか。ただ、このオケ、シューリヒトをもってしても一糸乱れず、というわけにはいかなかったようです。
ベームは、若いときに、ミュンヘンあたりでワルターの指導を受けたことがあるらしく、モーツァルトは悪くないと思います。ワルターやE.クライバーのようなチャーミングさというのはありませんが。
とても生真面目な楷書のような演奏といったらよいでしょうか。
ベームという人は、晩年、日本ではものすごく人気が高かったのですが、没後、すっかり忘れられたようになってしまいました。
モーツァルトとR.シュトラウスのオペラを得意として、本質的にカペルマイスターなのでしょう。本人はドクトールであることを異常に誇りにしていたそうですが.....。
クーベリックは長年の手兵バイエルン放送交響楽団とのスタジオ録音の定盤がありますが、ここでは、最晩年に故国のチェコ・フィルハーモニーとライブで残した録音を挙げます。
堂々とした押し出しもあり、近年主流の小編成のオケによるものとは異なるフルオーケストラによるモーツァルトのシンフォニーを聴く醍醐味があります。クーベリックはライブで燃えるタイプとも言われ、ライブ録音の多少の傷も気になりません。